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2030年12月31日火曜日
2025年6月14日土曜日
ブリティッシュ・ビッグフット ~ ウッドウーズ
■ブリティッシュ・ビッグフット ~ ウッドウーズ
今回はウッドウーズ (Woodwose)。
ブリティッシュ版ビッグフットです。
イギリスはスコットランドのネッシーの影響があるのでしょう、ヨーロッパで最もUMAが目撃される国です。
但し、ネッシーのようなレイク・モンスターの目撃情報に対し、獣人系はそれほど報告数が多くはない感じです。
この点に関しては、英語圏で最もUMAの目撃の多いアメリカで、ビッグフットが毎日のように報告されるのと大きく異なります。
おそらく獣人の誤認候補の筆頭株、クマと霊長類が棲息していないのがその原因でしょう。
だからといって獣人系のUMAが全く目撃されないわけではなく、あくまで全体として比率が低いだけで目撃自体はいくもかあり、今回はその中からウッドウーズを紹介します。
さてまずこのウッドウーズという呼び名ですが、この単語自体は中世からあるといわれており、ではその頃から目撃されていたのか?というと必ずしもそうではないようです。
当時からウッドウーズは外見的には現在の「獣人 (野人)」と変わらないものの、あくまで空想上・伝説上の生物のひとつであり、また、実際に野生化した人間 (例えば動物に育てられた少年少女等々) を指したりと曖昧な定義づけだったようです。
現代のウッドウーズはというと、やはりUMAであることから伝説上の生物以上のものではありませんが、それでもイギリスの各地 (イングランドやウェールズ) で「目撃」されています。
ウッドウーズ目撃事件としては最も有名なデボラ・ハッツウェル (Deborah Hatswell) さんのものを紹介しましょう。
2022年にウッドウーズの目撃についてインタビューを受けています。
1982年、当時15歳のハッツウェルさん友人と学校をさぼり、イングランド、ランカシャー州サルフォードにある国立公園、ブイル・ヒル・パークに来ていました。
35ヘクタール (東京ドーム約8個分) のそれなりに広い公園で、特に草木の生い茂っている場所で過ごしているときのこと、ハッツウェルさんの視界に何か見慣れないものが飛び込んできたといいます。
「何か動くもの」
すると突如茂みの中から見たこともない生物が飛び出してきました。
彼女は驚き、悲鳴を上げて逃げようとすると友人にぶつかってしまい、友人は地面に転んでしまいましたが、友人のことよりも恐怖が上回ったハッツウェルさんはそのまま逃げてしまったといいます。
しかし少し冷静さを取り戻し、自分の行動を恥ずべきものだと感じ、振り返ってみてみました。
そこには高身長の怪物が立っていましたが、彼女の予想に反し怪物は襲ってくるようなしぐさは見せず、むしろ不安げな表情を浮かべていました。
目撃から40年経ったものの、ウッドウーズの姿は目に焼き付いているといい、琥珀色の目、人間とそっくりの歯、全身は暗褐色の毛で覆われていたもののそれほど濃くないためか、皮膚 (地肌) も確認できました。
彼女はウッドウーズの目撃して以来、メンタル的に芳しくない時間を長く過ごしたといい、この生物について他人に語ることはほとんどありませんでした。
しかし30代になり結婚し、良き理解者である夫に十代のころに目撃したウッドウーズついて話すようになると長年苦しんでいた心は解放され、最近になってウッドウーズの目撃を改めて公表することになったということです。
長年苦しめられたウッドウーズに対しても決して悪感情を持っておらず、人類の変わりない存在であり、むしろ同情しているということです。
これはウッドウーズ目撃事件の代表的なものとして紹介しましたが、他にも目撃例はあり、概ね身長は6~7フィート (約1.8~2.1メートル) と大柄です。
ウッドウーズの正体はいったいなんでしょう?
先の述べた通り、イギリスにはクマが棲息しておらず (絶滅)、獣人の正体候補の最右翼がそもそも存在しません。
少々身長は足りませんが、動物園 (もしくは密輸された) から脱走した、チンパンジー等である可能性はゼロではないかもしれません。
また、かなり無茶な案ではありますが、メガントロプス (Meganthropus palaeojavanicus) 生存説があります。
メガントロプスの発見場所はイギリスとは大きく経だったジャワ島であり、身長8フィート (約2.4メートル) だ、ホモ・エレクトス (Homo erectus) の変種に過ぎないだ、現時点では謎の多い化石人類です。
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2025年6月13日金曜日
マレーシアで恐鳥が撮影されていた! ~ ブルン・ジュンタユ
■マレーシアで恐鳥が撮影されていた! ~ ブルン・ジュンタユ
今回はブルン・ジュンタユ (Burung Jentayu)。
どこか海外のスレッドに投稿されたものなのか出所は不明ですが、ストーリーがあり、なかなか興味深いので紹介しておきましょう。
元は長いので短く意訳します。
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私は長年イラストレーターとして活動してきました。
10代の頃は父と一緒にマングローブへ頻繁に通いカニを捕まえたり、野生動物を描いたりしてきました。
昨年の12月、高齢の叔父と久しぶりに食事をしました。
叔父が幼少の頃よりずっと話し続けている奇妙な話があります。
彼の育った村、ジョホールでは「ブルン・ジュンタユ」と呼ばれる生物がいたといいます。
叔父が認知症を患った後も思い出すことができる数少ないもののひとつで、「巨大なオウム!カンポン村のオウム!」と悪夢を見てうなされるほどの存在です。
叔父が元気なころからこの話が始まると、また始まった、、、ただの冗談だろう、と笑い飛ばしていたのですが、彼が亡くなってはじめてブルン・ジュンタユの存在を深刻に受け止められるようになりました。
私は叔父がブルン・ジュンタユについて話し始めても、聞き飽きていたこともあり真面目に聞いていなかった時期がありました。
すると温厚な叔父がいつになく激しく怒り、涙を流して訴えかけてきたことがありました。
「私も若いころは今のお前と同じぐらいホラ吹きだった、けどな、この話は違うんじゃ、実家には写真だってあるんじゃぞ!」
叔父がブルン・ジュンタユを初めて見たのは10歳ぐらいの時だったそうで、1940年代から1950年代ぐらいの話になります。
ブルン・ジュンタユは巨大な鳥で、まるで神からの遣いのような風貌をしていました。
飛翔している姿は一度も見たことが無く、そのため村人たちから「羽のない鳥」と呼んでいましたが、飛翔できる翼を持たないだけでとびきり大きな羽根を有していました。
ブルン・ジュンタユの縄張りは川のほとりであり、川に近付くと母親から棒で叩かれたといいます。
母親はブルン・ジュンタユが人の子を食べてしまうから、と説明したようですが実際には川から子供を遠ざけたく、幼少時代の叔父を怖がらせるためにそう言っていただけかもしれません。
村人たちはそのブルン・ジュンタユを鳥の姿に化けた精霊だと信じ、実在するものとは受け止めていなかったといいます。
しかしその巨鳥が走っている姿や、川の真ん中で佇んでいる姿はたびたび目撃されていました。
そしてある日 (1944年?) のこと、叔父は従兄弟と遊んでいる際に、ブルン・ジュンタユを目撃することになります。
ブルン・ジュンタユには二組の目があり、一組は決して閉じなかったといいます。
首には真っ赤な斑点があったことをはっきりと覚えており、もしかするとそれは肉垂 (にくだれ) だったかもしれもしれないと思ったそうです。
その巨鳥は黙って立ち尽くし彼らを見ていましたが攻撃を仕掛けてきたりはしませんでした。
そして二度目の目撃は、当時マラリアが大流行していたころに、イギリス人の研究者夫婦がカンポン村に調査に訪れていた時のことだったそうです。
二人は村人たちの家に夕食で招かれていました。
すると夜中に家畜の豚が激しく鳴く声が聞こえたため、叔父や村人、イギリス人夫妻らが養豚場へ駆けつけると、そこには背の高い2羽の巨大な鳥がいました、ブルン・ジュンタユです。
まるで象の鼻のような長い首、オウムのような幅広の嘴を持っており、2本の脚でブタを刺し殺していたそうです。
叔父にとってその鳥の最も印象的だったのは彼らの背丈で、それは村のどんな大人たちより背が高く、そのため柵も軽々と飛び越えることができたと言っていました。
追い払おうと物を投げつけてもブルン・ジュンタユたちは逃げようとしませんでしたが、イギリス人夫婦がブルン・ジュンタユに向けて撮影時に焚いたフラッシュに驚き逃げて行ったといいます。
その時、写真撮影に成功したそうです。
思い返してみると、叔父の話をもっとまじめに聞いていればよかったと後悔しています。
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おそらくみなさんが推測するブルン・ジュンタユの姿は恐鳥類 (きょうちょうるい) に違いありません。
実際、その正体を恐鳥の生き残りと思われています。
恐鳥類はフォルスラコス科を代表とする飛べない大型肉食鳥類で、代表的なものに体高3メートルのケレンケン・ギレルモイ (Kelenken guillermoi) や同2.5メートルのティタニス・ワレリ (Titanis walleri) なんかがいます。
獣脚類生存説よりは可能性的に幾分マシではありますが、どんぐりの背比べレベルであり、既知生物の誤認としてはヒクイドリ (Casuarius casuarius) を候補に挙げたいと思います。
ヒクイドリの生息域はインドネシア、ニューギニア、オーストラリアでマレーシアには生息していませんが、2メートル近い体高に高い運動能力 (俊足・高くジャンプ等)、殺傷能力のあるナイフのように鋭いかぎ爪、赤い肉垂等、共通点もそれなりに多いです。
ただまぁ撮影に成功したという写真は1ミリもヒクイドリには似ていませんが、、、
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2025年6月12日木曜日
地震直後に地面から無数の「頭髪」が! ~ クエイク・ヘア―
■地震直後に地面から無数の「頭髪」が! ~ クエイク・ヘア― (クエイク・ヘアーズ)
"地震発生直後、所かまわず、つまり市場、道路、畑、たとえどんなに固い場所であっても、人間の髪の毛のようなものが地面から自然発生的に伸びてきた。
その毛はかなり長く、地面から垂直に、そして地面にしっかりと貼り付いている。
毛に火をつけると、人間の髪の毛のように収縮し、焦げ臭い独特の臭いも似ており、本当に人間の髪の毛ではないかと信じてしまうほどだ。
地震が発生している間、この毛は瞬く間に地面から出現したのだ。
チャンティブン川が波立ち、泡で水面が覆われ、川は真っ白になってしまった。
人間の髪の毛のようなこの物質は、何らかの電気的な作用により生成されたものと考えられる"
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これは1848年5月13日にタイ東部を襲った地震について、アメリカの老舗科学週刊誌 (現在は月刊紙)、サイエンティフィック・アメリカンに掲載された記事です。
サイエンティフィック・アメリカンは1845年創刊の科学雑誌で当時も現在ほどしっかりとした科学理論に基づいた記事を載せていたかは定かではありませんが、少なくともオカルト系のネタを載せている情報誌ではありません。
この地震自体、特に史実に残るような大きなものでなかったからか詳しい情報は分かりませんし、チャンティブン川についても同様です。
この謎の毛、「クエイク・ヘア」も詳しいことは分かりませんが、毛を燃やした時の描写を読んだ限り、植物を燃やした時とは異なる印象を受けます。
髪の毛のように縮れたり、髪の毛のようなたんぱく質が燃えるときの独特の臭いを発した、という点は見た目こそただの毛のようなものであっても、生物、もしくは生物の体の一部なのではないか、と思わせます。
UMA的に無理矢理こじつければ、髪の毛のような細長い生物であるとか、地中に潜む未知の生物の触手とも捉えることができるかもしれません。
クエイク・ヘア自体、このタイの地震のものが最も有名と思われますが、この地震以外でも同様の現象は観察されたことが何度かあるといいます。(そのほとんどがアジア)
宣教師ダニエル・ジェローム・マクゴーワン氏は世界中の地震に関する記事を集めている際、中国版のクエイク・ヘアと思われる記事を中国の新聞から見つけ出します。
その地震は1878年に起き、発生はお昼ごろ、揺れは大きく数分ほど続きましたが人的な被害はそれほどでもなかったといいます。
しかし2日後、その地震の余震と思われるものが発生、すると長さ3インチ (約7.5センチメートル) 程の銀色に近い人間の白髪に似た毛が地面から無数に生えてきたといいます。
マクゴーワン氏はありとあらゆる地震の記事を2000年分ほど収集したといいますが、その書物は火事により現在はすべて失われてしまいました。
しかし、彼の研究によればクエイク・ヘア現象が起きる地域は地理的に谷底が多かったということです。
さて、そんな至る所にボウボウと生えてくるクエイク・ヘアであるなら、サンプルぐらい簡単に採取できるだろうし、少しぐらいは保存されているだろう、というツッコミもあると思います。
(チャボトウジュロの一種)
(image credit: Wikicommons)
で、実際のところ、サンプルも少しは存在する (した) ようです。
分析された結果ではチャボトウジュロ (チャメロップス) の一種 (Chamaerops fortunei) の繊維であることが確認されたものもあります。
但し、残念なことにタイの地震のクエイク・ヘアのサンプルは残っていないようです。
まぁ今から200年近くも前の地震ですし、それも仕方のないことかもしれませんね。
UMAなのか、植物なのか、それとも全くのオカルトなのか、地震が発生しないとみられない奇妙な生命体クエイク・ヘア。
大地震が起こった後にクエイク・ヘア探しをする、な〜んて余裕はとてもありませんが、それほどでもない地震であったら、地面に注意を向けてみるのもいいかも?しれません。
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2025年6月11日水曜日
存在しない建て替え前の病院に連れていかれた男性
■存在しない建て替え前の病院に連れていかれた男性
今回はグリッチ・イン・ザ・マトリックス。
まあグリッチ系でも多いエレベーターものですが、コメント欄なんかを読むと、こうやって人は (異次元とかに) 消失してしまうものなのかなぁ?なんてのも散見されます。
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2021年、当時41歳の私は敗血症でイングランド北西部 (マージ―サイド州) のウィンストン病院に入院していました。
検査の結果、MSSA (メチシリン耐性黄色ブドウ球菌) 感染症と心内膜炎の心臓感染症であることが判明しました。
抗生物質を投与し、効果が表れるまで6週間に及ぶ入院となりました。
幸運なことに病気は完治しましたが、入院中に説明不能のとても不可解な体験をしました。
私の入院したウィンストン病院は長い歴史を持ちます。
2010年に建て替えられるまで、まるで19世紀の建造物のような外観をしていました。(注:実際に1843年に建設)
その建物は取り壊され、新しく病院は建設されました。
新しく建てられた病院は現代的な雰囲気を醸し出し、今までの建物とは全く異なる外観をしています。
(建て替えられたウィンストン病院)
(image credit: Wikicommons)
私は入院している間、ちょっとしたルーティーンを行っていました。
病室を出てエレベーターで1階まで降り、建物の外でタバコを吸って、そしてまた同じ道を辿って戻る、というシンプルなものです。
夜間はとても静かでしたが、特に気になるほどでもありませんでした。
しかしある夜を境にそれが一変してしまったのです。
その夜も私はいつものルーティーンに従い、タバコ休憩を終えると部屋へ戻るためにエレベーターに乗り込みました。
自室のあるフロアのボタンを押しましたが、エレベーターは下り始めました。
ただの誤作動だと思い、エレベーターが停まったらもう一度ボタンを押し直そうと思いました。
しかし、エレベーターが停まりドアが開くと、なにかがおかしいと感じました。
目の前の廊下が私が慣れ親しんだ病院のものと明らかに違うのです。
とても暗く、空虚で、とにかくなにかがおかしい。
壁は古びており、建設されて何十年も経っているかのようで、自分以外に誰もいませんでした。
なぜか、、、なぜかは分かりませんが、外に出てはいけない、という直感が働いているにもかかわらず、私はエレベーターを出てそのフロアを探索したい、という衝動に駆られました。
外に出ると左手に「救急外来」と書かれた札がありました。
意味が分かりません、救急外来は本来、私の入院している部屋の上のフロアにあるからです。
私は先へ先へと進みましたが、進むほどに空気が重く感じられ、そしてそのフロアは完璧な静寂に包まれているのに気付きました。
病室内のベッドが目に入りました。
ベッドは古い金属フレームで出来ており、薄く青いマットレスが敷かれていて、とても現代の病院のものとは思えず、昔の病院で見られるタイプのもののようでした。
進むほどに暗くなり、そして誰かに監視されているような感覚に襲われました。
私は突如我に返ると、パニックになり急いで踵を返しエレベーターホールまで走って戻りました。
エレベーターに乗り込み、私の部屋のあるフロアのボタンを押すと、今度はエレベーターは無事に上昇し、いつものフロアへと私を運んでくれました。
その件以来、私はできる限りそのエレベーターの使用を避けました。
あの時の体験を考えずにいられませんでしたが、それは私が極度に疲れていたせいか、それとも私の知らない一画がこの病院にはあるのかもしれない、と自分に言い聞かせました。
それから1週間後、深夜にそのエレベーターを使う必要がありました。
とても躊躇 (ためら) われましたが、エレベーターのボタンを押しエレベーターが到着するのを待ちました。
エレベーターが到着し、乗り込んだ私は心底震え上がりました。
扉の上部にフロアの数字が並ぶ代わりに、そこには「X」と表示されているのです。
私は急いでエレベーターから出ました。
単に故障していただけかもしれませんし、それともそれは何らかのエラーコードが表示されているだけで、エレベーターの標準的仕様だったのかもしれませんが、それが何かを知りたいとすら思いませんでした。
退院して何年も経っていますが、この一連の出来事をどう捉えればいいのか全く分かりません。
タイムスリップしたとか、そういった話を聞くことがありますが、それが自分の身にも起きたのか、というとそれも分かりません。
ただ、あれはとても奇妙で不気味な体験でしたし、決して忘れられない出来事であったことだけは確かです。
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病院は建て替えられましたが、地下はそのまま手つかずのまま残されていたのでしょうか?
エレベーターの表示灯はものによってはデジタル文字で「X」も表示できるタイプもあるので、エラーコードだったのかもしれません。
ただ実際にその病院のエレベーターの表示灯を見てみないと判断できませんね。
(参照サイト)
reddit / JFedzor
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