■生きている「海底」 ~ ブラックカーペット(セクション2)
セクション1の続き。
― 巨大な身体は、どうやって動くのか ―
ここでひとつの問題が生まれます。
仮にブラック・カーペットが300m、あるいは1.6kmにも及ぶ巨大な群体だったとしたら、どうやって全体を動かしているのでしょうか。
普通の大型動物なら、脳や神経系が身体全体へ信号を送ります。
しかし、巨大な群体生物やスライムモールド(変形菌/粘菌)のような生物では、その仕組みはまったく違います。
そこで海外の考察の一部では、ブラック・カーペットは神経ネットワークではなく、海底を伝わる低周波の振動や微弱な水圧の変化によって、全体が同調しているのではないかとも考えられています。
ひとつの部分が動く。
その動きによって周囲の水圧が変化する。
その変化を隣の部分が感知し、さらに次の部分へ伝える。
そうして、巨大な生命体全体がゆっくりと動いていくというわけです。
これなら、ブラック・カーペットに巨大な脳が存在する必要もありません。
1匹の動物ではなく、海底全体に広がったネットワークそのものが「身体」であり、振動や水圧が、その生命体にとっての神経信号になるのです。
もちろん、これもブラック・カーペットが存在することありきの、」後発の推測にすぎません。
しかし、この考え方を取り入れると、ブラック・カーペットと「深海の音」という別の怪異が奇妙につながってきます。
― 深海音との奇妙なつながり ―
ブラック・カーペットの物語では、深海から聞こえる不可解な低周波音との関係が語られることがあります。
その代表が、UMAファンならご存じの「ブループ(Bloop)」です。
1997年、南太平洋で極めて大きな音が水中音響観測網によって記録されました。
その音は当初、その正体が分からず、「巨大な未知の生物が発した声なのではないか」という想像まで生まれました。
後にNOAAは、ブループを氷山などが破壊・移動する際に発生する氷震、いわゆる「氷震」による音と説明しています。
つまり、現在では巨大生物の鳴き声と考える必要はありません。
しかし、ブラック・カーペットの伝承では、
「ブループを発生させたのはブラック・カーペットだったのではないか」
という説が語られることがあります。
さらに面白いのが、先ほどの「振動によるコミュニケーション」という仮説です。
ブラック・カーペットは声を出しているのではない。
海底を這う。
群体全体が蠢く。
巨大な身体が海底や周囲の水を押し動かす。
その結果として、非常に低い周波数の振動が発生する。
それが遠く離れた場所まで伝わっていく。
そう考えると、ブループは「ブラック・カーペットの鳴き声」ではなく、巨大な生命体が移動した際に発生した、海底の地鳴りのようなものだったという解釈もできます。
もちろん、これは科学的な説ではありません。
ブループとブラック・カーペットを結びつける証拠もありません。
それでも、実際に深海で巨大な音が記録されたという事実と、そこから生まれた怪物の物語が重なっているため、非常に想像力を刺激する組み合わせなのです。
― 「モノリス」なのか、生物なのか ―
ブラック・カーペットには、さらに奇妙な解釈があります。
それを「動物」と考えないのです。
巨大な生物なのか。
未知の構造物なのか。
あるいは、生物と無生物の境界に存在する何かなのか。
海外の一部の考察では、ブラック・カーペットを海底に存在する巨大な「モノリス」のような「未知の構造物」としてイメージすることも散見されます。
ただし、それは金属や石でできた人工物という意味とは限りません。
むしろ、あまりに巨大で、あまりにゆっくり動くため、生物なのか地質構造なのか判断できない存在です。
深海では光が届かず、視界も極端に限られます。
数十m先にあるものが生物なのか岩盤なのかすら、状況によっては判別しにくいでしょう。
そこに1kmにも及ぶ黒い構造物が横たわっていたら、それが「生きている」と理解するまでには時間がかかるはずです。
そして、その表面がわずかに波打ったとき。
巨大な構造物だと思っていたものが、ゆっくりと動き始める。
ブラック・カーペットの怖さは、まさにこの「境界の曖昧さ」にあります。
― 物語で終わるのか、それとも ―
ブラック・カーペットがクリーピーパスタやネットロアなのか、それとも何らかの実在する生物をモデルにしているのか――
「1マイル」という巨大なサイズも、振動や水圧によるコミュニケーションも、スライムモールドのような海洋生物という発想も、いずれも後発の考察や創作的な解釈の領域です。
ブループとの関連についても同様です。
ただし、ここで完全な空想として切り捨てるには、深海という場所そのものがあまりにも特殊です。
群体生物は実在します。
海底には微生物によるマット状の構造も存在します。
そして、脳や心臓を持たず、環境に反応しながら巨大なネットワークとして振る舞う生物も、すでに地球上に存在しています。
だからこそブラック・カーペットという発想は、単純な「シーサーペント(巨大海蛇)」や「巨大な魚」とは違った奇妙なリアリティを持っています。
300m。
あるいは1.6km。
もし深海の底に、山脈のふもとを覆うほどの黒い生命体が広がっていたら。
その上を小型の深海探査艇が通過しても、最初はただの岩盤にしか見えないかもしれません。
やがて、その黒い表面から無数の糸状の器官が伸びてくる。
ひとつが動く。
次に隣が動く。
その振動が海底を伝わり、さらに遠くの部分がゆっくりと反応する。
そして、数百m、あるいは1km以上離れた場所まで、ひとつの巨大な生命体として動き始める。
そこには、頭もありません。
目もありません。
脳すらありません。
ただ海底いっぱいに広がった「身体」だけが存在している。
ブラック・カーペットとは、もしかすると巨大な怪物ではなく、海底そのものが生きているという恐怖を、人間がひとつの名前にしたものなのかもしれません。
しかし、もし暗闇の中で、探査艇のライトに照らされた海底がほんのわずかに蠢(うごめ)いたなら――
そのとき私たちは、そこが「海底」なのか、それとも何か巨大なものの「身体」なのかを、即座に判断することはできないに違いありません。




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