■半世紀も人間たちを襲った伝説のクジラ ~ ポルピュリオス
今回は随分と古いお話、シー・モンスターのポルピュリオス (Porphyrios) です。
古いといってもUMAではなく「完全に」実在した生物です。
今から1500年ほど前の6世紀、東ローマ帝国の歴史家プロコピウス (Procopius) により伝えられることによりプロコピウスのシー・モンスター (Procopius Sea Monster) と呼ばれる場合もあります。
幾多の船を沈めたというこのシー・モンスターのポルピュリオスというニックネームは、同時代に活躍した同名の戦車兵ポルピュリオス、もしくはギリシア神話に登場する巨人ポルピュリオン (Porphyrion) のいずれかに由来すると考えられています。
いずれの名前にしても深紫 (こきむらさき) を意味するポルフィラ (Porphyra)、つまりそれはモンスターの体色も意味しているのではないか?と考えられています。
航海技術の発達していない時代のシー・モンスターといえばクラーケン (ダイオウイカ等の誤認) やシーサーペント (リュウグウノツカイ等の誤認) 等、深海性の巨大生物がその候補 (というか定番) ですがポルピュリオスの正体ははっきりしており、なんとクジラです。
但し、図版や詳しい特徴を記した文献が残っていないことからクジラの種類に関しては分かっていません。
分かっているのはポルピュリオスの体長が45フィート (約14メートル)、体幅が15フィート (約4.5メートル) ということぐらいです。
候補としては
マッコウクジラ (
Physeter macrocephalus) と
シャチ (
Orcinus orca) がおり、おそらくは前者ではないかと考えられています。
体長的にはオスのマッコウクジラだとすれば平均サイズ (16~18メートル) すら下回り、メスだとすれば最大クラスです。
ちなみに史上最大のマッコウクジラは1933年に捕鯨されたもので、79フィート (約24メートル) という規格外の記録が存在します。
一方シャチであれば14メートルでもオスの最大クラス (約10メートル、通常6~7メートル) をはるかに上回りまさにモンスター級となります。
(当時のコンスタンティノープル)
ポルピュリオスが出現していたのは
コンスタンティノープルの海域です。
黒海とマルマラ海を繋ぐボスポラス海峡では閉鎖された領域だったためでしょうか、特に被害が集中したと言われています
襲う理由は全く分かりませんでしたがあらゆる船舶がターゲットであり、断続的ながらそれは50年以上にも及びました。
当時、東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の皇帝ユスティニアヌス1世はポルピュリオスに非常に頭を悩ませておりどうにか捕獲できないものかと画策していましたが結局は何もできなかったといいます。
しかしそんなポルピュリオスに運命の日が訪れます。
(砂浜に乗り上げてまでもハンティングするのはシャチの真骨頂ですが、、、)
黒海でイルカを追って河口近くに入り込んだポルピュリオスは勢いあまって浅瀬で座礁してしまいます。
万事休す。
己の体重で身動き取れなくなったポルピュリオスを見つけた住人たちは斧とロープを手に続々と集まり、ロープで縛り上げ陸へ引っ張り上げました。
住民たちは積年の恨み!とばかり次々と斧を振りかざしました。
そして解体されたポルピュリオスの肉を頬張りながら祝杯を上げたといいます。
さて本当にこれがポルピュリオスだったのか?という疑問が残ります。
この後、ポルピュリオスが現れなくなったのだからその可能性は高そうですが、もともと断続的に姿を現していたため何年も現れない期間もあったといいます。
高齢であったポルピュリオス実は既に死んでしまっていたかもしれませんし、生きていたとしてももう船を襲うような元気はなかったかもしれません。
大きさを測ったのも座礁時だったとすれば最低でも50歳を超えるオスのマッコウクジラとしては小柄であり、この時イルカを追っていたというのもマッコウクジラというよりはシャチ的であり人違いならぬ鯨違いの可能性もあります。
「本物のポルピュリオス」は1933年の79フィートの記録を凌駕するような巨大なマッコウクジラで、余生を悠々と過ごしていたかもしれません。
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