(image credit: Wikicommons)
■蛹になる前に逃げろ! ~ 寄生バチから逃げるための命がけの大逃走
「もうすぐ蛹になるぞ」
そんなタイミングで、突然どこかへ向かって歩き出すイモムシがいます。
今回はナミアゲハ(Papilio xuthus)の幼虫の話。
アゲハチョウの幼虫といえば、ミカンやサンショウなどの葉をひたすら食べ、十分に成長すると、その場を離れて蛹になります。
ところが、この「蛹になる前」の行動を詳しく調べてみると、岐阜大学の研究グループにより、幼虫は意外なほど遠くまで歩いていることが分かりました。
平均20m以上。
体長数cmしかないイモムシにとっては、ちょっとした散歩どころではありません。
しかも、どうやらこの大移動には、寄生バチから逃れるための理由があるようなのです。
― 20mは幼虫にとって「小旅行」どころではない ―
「20m」と聞くと、人間からすれば大した距離には感じないかもしれません。
しかし、終齢のアゲハ幼虫は数cmほどの小さな生き物です。
自分の体長の数百倍にもなる距離を歩くと考えれば、そのスケールはかなり違って見えてきます。
人間にたとえれば、数百m規模の移動に相当します。
しかも、幼虫は歩道を安全に歩いているわけではありません。
地面や植物の上を這いながら移動している間には、鳥などの捕食者に見つかる可能性もあります。
人間の生活圏に近ければ、道路を横断して車にひかれる危険すらあります。
つまり、餌を食べ終えたアゲハ幼虫は、これから動けなくなる蛹になるために、かなり危険の伴う本格的な旅に出ているわけです。
では、なぜそこまでして移動するのでしょうか。
その理由として注目されたのが、アゲハの蛹を狙う小さな寄生バチ、アオムシコバチ(Pteromalus puparum)です。
― 蛹になったら、もう逃げられない ―
昆虫にとって、蛹になる場所は意外と重要です。
幼虫の間なら歩いて逃げることができますが、蛹になってしまえば自分から移動することはできません。
そのため、蛹になる場所を選ぶことそのものが、敵から身を守る手段になる可能性があります。
今回、岐阜大学の研究グループは、この点に注目しました。
アゲハの終齢幼虫が蛹になる前にどの程度移動するのかを調べたところ、幼虫はガットパージと呼ばれる消化管内容物を排出してから前蛹になるまでの間に、平均20m以上移動していました。
さらに野外で前蛹を配置して調べたところ、寄主植物上やその直近ではアオムシコバチによる寄生が確認された一方、寄主植物から5mおよび17m離れた場所では寄生が確認されませんでした。
どうやら、植物から離れて蛹になることには、ちゃんと意味があるのかもしれません。
― アオムシコバチは何を手がかりに探すのか ―
ここで一つ、気になることがあります。
アオムシコバチは、いったいどうやってアゲハを見つけているのでしょうか。
研究グループは、Y字型嗅覚計を使って、アオムシコバチにさまざまな匂いを提示しました。
調べたのは、幼虫が食べた葉、ガットパージ、ガットパージの抽出物、終齢幼虫、放浪中の幼虫、そして前蛹(ぜんよう)です。
すると、興味深いことが分かりました。
アオムシコバチが有意な誘引を示したのは、前蛹の匂いだけだったのです。
つまり、この小さなハチは、蛹になる直前のアゲハを探すとき、前蛹が発する匂いを手がかりにしている可能性があります。
すると、当然こんな疑問が出てきます。
「前蛹が匂いを出しているなら、どこで蛹になってもハチに見つかるのでは?」
これはもっともな疑問です。
しかし、匂いを手がかりにできることと、広い自然の中から数cmの前蛹を遠距離から正確に見つけられることは、同じではありません。
― ハチの「捜索範囲」から逃げる ―
寄生バチが匂いを利用しているとしても、自然界は広大です。
小さな前蛹が発する匂いが、どこまでも濃いまま一直線に届くわけではありません。
空気中に放出された匂い物質は拡散し、風によって流され、距離とともに薄まっていきます。
そのため、前蛹の匂いは、ハチがある程度近くまで来たときに、最後の手がかりとして機能している可能性があります。
今回の研究結果も、アオムシコバチが前蛹の匂いには反応する一方、寄主植物から5mおよび17m離れた場所では寄生が確認されなかったことを示しています。
つまり、
「匂いがするから、地球の裏側からでも見つけられる」
という話ではありません。
アゲハ幼虫が寄主植物から離れていくことで、そもそも寄生バチが寄主を探す場所から外れることができるのではないか、というわけです。
餌を食べている間は植物から離れられない。
しかし、食べ終わって蛹になる段階に入れば、その制約はなくなります。
そこで今度は、できるだけ遠くまで歩いていく。
アゲハ幼虫の「放浪」は、単なる気まぐれな移動ではなく、蛹になった後の自分を守るための行動なのかもしれません。
― そして、寄生されると大変なことになる ―
では、もしアオムシコバチに見つかってしまったら、アゲハはどうなるのでしょうか。
アオムシコバチは体長3mmほどの小さな寄生バチです。
しかし、その小さな体に似合わず、アゲハにとってはかなり恐ろしい相手です。
アオムシコバチはチョウの蛹などに寄生し、蛹の内部で幼虫を成長させます。
寄生されたアゲハは、当然ながら成虫になることができません。
しかも、場合によっては1頭の蛹から100匹を超えるアオムシコバチが羽化することがあります。
外から見れば、そこにあるのは普通のアゲハの蛹です。
ところが羽化する時期になると、蛹に小さな穴が開き、そこから大量の小さなハチがぞろぞろと出てきます。
本来なら美しい羽を広げるはずだったアゲハが、出てきた大量のハチに置き換わっているわけです。
これは、かなり悪夢のような光景です。
そう考えると、アゲハ幼虫が蛹になる前に20m以上も歩いていく姿も、少し違って見えてきます。
― アゲハの「放浪」は逃走だったのか ―
今回の研究が示したのは、アゲハ幼虫の蛹化前の移動が、寄生バチによる寄生リスクを低下させる行動として機能している可能性です。
もちろん、「アゲハ幼虫が寄生バチから逃げるために20m歩いている」と完全に証明されたわけではありません。
それでも、幼虫が平均20m以上も移動し、寄主植物の近くでは寄生が確認された一方、5mや17m離れた場所では寄生が確認されなかった。
さらに、寄生バチが前蛹の匂いに反応することも分かりました。
小さな幼虫にとって20mは、単なる散歩ではありません。
捕食者に襲われるかもしれない。
人間の生活圏なら、道路を渡る危険もある。
それでも、動けなくなる前に歩いていく。
もしかするとアゲハ幼虫は、「安全に蛹になれる場所」を探して、かなり本格的な小旅行をしているのかもしれません。
そしてその先で、ようやく葉の上から離れ、静かに蛹になります。
そこまで逃げ切れば、少なくともアオムシコバチに見つかる可能性は下げられる。
数cmの幼虫が20m以上歩くという、一見すると奇妙な行動。
その正体は、意外にもかなり合理的な「引っ越し」なのかもしれません。
(参照サイト)
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