第一次大戦中、同じ日のうちに二つの砲弾が同じ位置に被弾するなど到底ありえないと考えて、戦闘中、船で新しく砲弾のあとが空くや、我先にと好んで砲弾あとに避難したといいます。
気持ちは分かるものの、1発目の砲弾が空いた場所に、次の砲弾が1発目の砲弾あとに被弾する確率は、他の場所に被弾する確率となんら変わらないので、本当は意味はありません。
1949年、南イタリアのタラントでローラ・プリマルダという女性が自宅の裏庭で雷に打たれて亡くなりました。
冒頭で書いた砲弾の話の通り、一度雷が落ちた場所にもう一度雷が落ちる確率は、他の場所に落ちるのとまったく同じ、平等です。
しかし、ローラさんが雷に打たれて亡くなったちょうど20年前の1929年、彼女の父親は、まさしくこの裏庭で雷に打たれ亡くなっています。
親子ともども同じ場所で雷に打たれ亡くなったということになります。
雷は以前に落ちた場所を記憶しているわけでもありませんし、地形的に落ちやすい場所はあるかもしれませんが雷が落ちる場所は完全にランダムです。
ですが雷に打たれて亡くなるという事故自体それほど頻繁に聞く事故ではないですし、しかもそれが全く同じ場所で雷に打たれる、なんて聞くと、感情的に何か超自然的な力が働いているのでは?なんて勘ぐってしまいます。
しかしこの長い人類の歴史において確率はとんでもなく低いかもしれませんがそんなことも起こるものでしょう、まさに奇跡的な確率ではありますが。
ですが雷に打たれて亡くなるという事故自体それほど頻繁に聞く事故ではないですし、しかもそれが全く同じ場所で雷に打たれる、なんて聞くと、感情的に何か超自然的な力が働いているのでは?なんて勘ぐってしまいます。
しかしこの長い人類の歴史において確率はとんでもなく低いかもしれませんがそんなことも起こるものでしょう、まさに奇跡的な確率ではありますが。
と、そんなことは心では理解していても、やはりこのローラさんと彼女の父親に落ちた雷は意思を持っているのでは?と思わせる事実があります。
というのもローラさんが雷に打たれて亡くなったのは1949年、父親が打たれたのはその20年前の1929年、そして彼女の父親の父、つまりローラさんの祖父はローラさんが雷に打たれるちょうど50年前の1899年、まさしくこの裏庭で雷に打たれて亡くなっています。
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