15世紀のベトナムの英雄、レ・ロイ帝 (黎利)。
レ・ロイはベトナムに侵攻する明 (中国軍) を次々と破り10年にも及ぶ抵抗運動の末、ついに明軍を撤退させることに成功した人物です。
独立後、レ・ロイは帝位につき黎朝 (れちょう) の創始者となりました。
この明との戦いでレ・ロイが使った剣には逸話があります。
レ・ロイの剣は「神の意志」を意味するトゥアン・ティエン (Thuận Thiên) と呼ばれる魔剣ですが、これは抵抗運動のさなか「偶然」に手に入れたもので、戦いの初めから持っていたものではありません。
この剣を始めに手に入れたのはレ・トゥアン (Lê Thận) という名の漁師。
ある夜のこと何度捨てても漁網にかかる不思議な鉄くずに遭遇し仕方なく家に持ち帰ります。
レ・トゥアンは細長い鉄くずをなんの価値もないガラクタと思い部屋の片隅に置きっぱなしにしておきました。
それから数年、いつしかレ・トゥアンもレ・ロイの反乱軍の一員になりました。
レ・トゥアンは昇格を続け、レ・ロイとの接点ができます。
そして運命の日、レ・ロイがレ・トゥアンの家に訪れます。
灯りのないレ・トゥアンの家は真っ暗でしたが部屋の片隅が明るく輝いていることに気付きます。
輝いていたのはそう、レ・トゥアンがガラクタと思っていた鉄くずでした。
しかしそれは鉄くずではなく魔剣、トゥアン・ティエンだったのです。
使うべき人物が現れるのを剣は待っていたのです。
レ・トゥアンの網にかかったのは実は「偶然」ではなく「必然」であり、レ・ロイの手に渡ったのは「運命」だったといえます。
この剣を使ってのレ・ロイの活躍は冒頭の通り、最後の戦いを終えたレ・ロイは湖で小舟に乗り、長い戦いの疲れを癒やしていました。
すると湖から神の遣いである黄金の亀、ホアン・キエム・タートル (Hoan Kiem turtle) が現れます。
ホアン・キエム・タートルはレ・ロイにその剣を自らの主人、ロン・ヴァン (Long Vương) に還すようにいいます。
レ・ロイは明を倒すために魔剣が自分の手に渡ったことを悟り、ホアン・キエム・タートルの要求に承諾し剣を還します。
ホアン・キエム・タートルは剣を口にくわえるとそのまま湖の深みへ消えていったといいます。
この逸話からこの湖は「還剣の湖」を意味する「ホアン・キエム湖 (Hoàn Kiếm Lake)」と呼ばれるようになりました。
さていかがでしょう。
レ・ロイは実在した人物ですが、流石に亀のくだりをよくある昔話、実話だと思う人は少ないでしょう。
そもそもホアン・キエム湖はわずか長さ600メートル、幅200メートル、深さ2メートルしかない「池」であり、この程度の場所に巨大なカメが人目に触れず生息しているはずがない、誰しもそう思います。
しかしこのカメは実在します。
もちろんレ・ロイが会った神の遣いの金色の亀ではありません、元になった大亀のことです。
(image credit by Phuongcacanh at Vietnamese Wikipedia)
というのも1998年以降、巨大なスッポンがホアン・キエム湖を泳いでいる姿がたびたび撮影され、伝説のカメが実在することが証明されました。
ホアン・キエム・タートルの学名はラフェトゥス・レロイイ (Rafetus leloii)、種小名のレロイイからレ・ロイに献名されたものであることが分かります。
実際のところホアン・キエム・タートルはシャンハイハナスッポン、ラフェトゥス・スウィンホエイ (Rafetus swinhoei) のシノニムです。
伝説のカメですからホアン・キエム湖のカメは固有種であって欲しい、そう願うベトナムの研究者の中には、シャンハイハナスッポンと別種であると頑なに主張する人もいますが、おそらくその願いは叶わないでしょう。
シャンハイハナスッポンの最大クラスは甲長が1メートルを超え、体重も250キロ前後まで成長する可能性が示唆されています。
しかし残念ながらどれぐらい大きくなれるか、生態はどのようなものか、それを知るにはあまりに個体数が少なすぎます。
甲羅は漢方薬に、肉は食用に、乱獲により各地の生息域で絶滅が宣言されており、現在確認できるシャンハイハナスッポンは数匹程度だからです。
現在は発見次第、この上なく丁重に扱われていますが、保護するにはあまりに遅すぎました。
どこかの湖で未発見の個体群が発見されない限り、近い将来、本当の伝説になってしまいそうです。
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