(ボルツノフの描いたマーモント)
■巨大なモグラかそれともバハムートか? ~ ボルツノフのマーモント
18世紀末~19世紀初頭の頃、謎の生物の牙がヨーロッパの動物学者の間で話題となっていました。
大きく湾曲した巨大な牙で、その牙の持ち主の名は「マーモント (Mamont)」というらしい。
牙はゾウのものに似ているものの、それにしてはあまりに大きすぎるものも存在しました。
いったいその生物はどんな姿をしているのか?ヨーロッパの動物学者は誰も分かりませんでした。
マーモントとはマンモス (Mammoth) の語源となったロシア語です。
そう、それはマンモスの牙であったのです。
シベリアの住人たちは永久凍土で眠るマンモスから牙を調達していましたが、その場所もマンモスのことも部外者には正確に伝えることはありませんでした。
そんな折、ロシア人商人、ロマン・ボルツノフ (Roman Boltunov) はシベリアでマーモントの牙を調達したのですが、その牙は2.7メートルもある巨大なものであったため、どうしてもマーモントの姿を見てみたいという衝動に駆られました。
そこで住民たちに金を握らせ、マーモントの死骸のある場所に連れて行ってもらいました。
ボルツノフははじめて部外者としてマーモント = マンモスの姿を目にした人物だったかもしれません。
後にボルツノフは目に焼き付けたマーモントの姿を思い出しながらその姿を紙に描きました。
そして完成した絵がボルツノフのマンモスです (冒頭の画像)。
ゾウのトレードマークである長い鼻もなければ大きな耳もありません、牙はあらぬ方向を向き、なにやら巨大なイノシシのような風貌となってしまいました。
ボルツノフの見たマンモスはおそらくオオカミに食べられたりしてもともと不完全なものだったのでしょう。
また、ボルツノフは一介の商人であり、動物に対する十分な知識を持ち合わせていなかったことが不確実なマンモスを描いてしまった原因になったに違いありません。
しかしボルツノフの描いたマーモントは少なくともこの当時、嘲笑の的になることはなかったでしょう、なぜならこの時代のマンモス像は大いに混乱していたからです。
ドイツ人医師で博物学者のダニエル・ゴットリープ・メッサーシュミット (Daniel Gottlieb Messerschmidt) 博士はシベリア探索の際に偶然にもマーモントの死骸に出くわしました。
胴体はオオカミに食べられるなど損傷はしているものの皮膚や体毛は残されていました。
博士はマーモントの肢を1本だけ本国に持ち帰り、マーモントは決してゾウではなく「旧約聖書に出てくるベヒーモス (バハムート) である」と主張しました。
想像上の生物、バハムート?
しかしそれを聞いた神学者たちは字義通りに受け取りませんでした、というのもユダヤ人がカバのことをビヒモス (ベヒーモスと同じ) と呼んでいたからです。
マーモントはゾウでもなくバハムートでもなく、カバなのか?
その一方、スウェーデンの陸軍大佐でシベリアで捕虜となったカッグ男爵は地元民からマーモントの話を聞き、その生物は地下に生息しており光に当たると死んでしまう巨大なモグラの一種だと主張しました。
(ケブカサイ)
(image credit by Mauricio Antón)
また、ドイツ人博物学者ペーター・ジーモン・パラス (Peter Simon Pallas) はシベリア東部のレナ川を探索中にケブカサイ (Coelodonta antiquitatis) の死骸を発見したことによりマーモントの正体はサイであると主張しました。
マーモントを巡り、ゾウ、バハムート、カバ、モグラ、そしてサイまでもが登場したのです。
バハムートや巨大モグラに至っては架空の生物であり、いかに混乱していたかが分かります。
(発見当時のセイウチは怖かった)
ただし、巨大なモグラはセイウチのことを言っていたようです。(氷の中から陸上に上がる → 地中から地上にはいでてくる)
実際、牙商人はマンモスの牙だけではなくセイウチの牙も商っていました。
こういったもろもろのことを考えると、ボルツノフの描いたマーモント (マンモス) の姿はむしろ動物学者たちが思い描いていたマーモント像より完成度が高かったのではないかと思えてしまいます。
(参考文献)
世界動物発見史 (ヘルベルト・ヴェント著)
(参照サイト)
Atlas Obscura
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