1845年のアメリカ、ニューヨークで現代でいう恐竜博に相当する化石展にシロナガスクジラより巨大な114フィート (約35メートル) もある巨大生物の化石が展示されました。
この巨大生物の化石にはシーサーペント (巨大海蛇) と銘打たれ、属名には「海のボス」を意味するヒドラルゴス・シリマニ (Hydrargos sillimani) という学名を与えられました。
主催はドイツ移民の古生物学者アルベルト・コッホ (Albert Koch)、化石展は25セントの入場料で連日の賑わいをみせました。
ニューヨーク各紙も驚きをもってヒドラルゴス・シリマニを「実在したリヴァイアサン」と熱狂的に報道しました。
この生物は後にコッホの名を冠し、コッホ・サーペント (Koch Serpent) と呼ばれることとなる謎の巨大生物ですが、なぜか現代ではまったく無名の存在です。
(original image credit by Digital Repository)
古生物の文献等を片っ端から漁っても載っていることはまずありません。
それはなぜか?
コッホ・サーペントの展示からまもなく、当時の動物学者や古生物学者はこのあまりに大きすぎる生物に疑念を持ちます。
動物学者ジェフリーズ・ワイマンらがコッホ・サーペントを調べたところ、脊髄の通る穴の大きさがまちまちで、また若い個体と年老いた個体の特徴を持つ矛盾する椎骨が混在していることに気付きました。
ここから導きだされる結論はただひとつ、コッホ・サーペントは複数個体の骨格をつぎはぎして作られたということです。
綿密な調査の結果、コッホは大胆にも5頭分のバシロサウルス (ゼウグロドン) の骨を使ってコッホ・サーペントを作り上げていたことが判明しました。(バシロサウルス以外のムカシクジラ類の化石すら含まれていました)
巨大海生爬虫類の正体が、実は爬虫類どころか哺乳類のバシロサウルスで復元していたのです。
コッホ・サーペントのフェイクが露呈すると、アメリカでの展示は困難と判断、学名も「海の支配者」を意味するヒドラルコス (Hydrarchos) に変更しヨーロッパツアーに切り替えます。
ちなみに最初の学名ヒドラルゴス・シリマニの種小名、 "sillimani" はイェール大学の教授、ベンジャミン・シリマン (Benjamin Silliman) に献名したものですが、本人から速攻で拒絶されたらしく種小名はなくなっています。
しかし不安視されたヨーロッパツアーもいざ蓋を開けてみると大成功でした。
ライプチヒやベルリンでコッホ・サーペントはまたも人気を博し、おまけにこの化石を気に入ったプロシアのフリードリヒ・ウィルヘルム4世は、コッホに生涯年金を提示しこの化石を買い上げたほどです。
念願だった富を手に入れたコッホはアメリカに戻り、今度は39メートルの「怪物」を作り上げますが「芸術作品」に対する情熱もこれが最後だったようです。
その後は愛する妻と4人の子供たちと共にアメリカのセントルイスに定住することを決断します。
そんな彼に朗報が舞い込みます、セントルイスのサイエンス・アカデミーにコッホが選出されたのです。
その後責任者にまでに昇り詰め、1867年、波瀾万丈の生涯に幕を下ろします。
コッホ・サーペントの詐欺まがいの側面ばかりが取りざたされますが、コッホが集めた膨大な化石コレクション、および彼の洞察は少なからず古生物学に貢献したといわれています。
当時の人々を魅了したコッホ・サーペントことヒドラルコスは今どこに?というと、コッホの死からわずか4年後の1871年、シカゴ大火によりコッホのあとを追うようにこの世から消えてしまいました。
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