上の画像に出ている恐竜はそれぞれなにか分かりますか?
これは1869年にあの化石戦争で有名なエドワード・ドリンカー・コープ (Edward Drinker Cope) 博士によって描かれた図版です。
恐竜研究の黎明期である19世紀半ばごろに描かれた恐竜はどれもこれも個性的で現在の復元とは大きく異なりとても面白いです。
骨格だけで生前の姿を復元するのは難しいですからね、恐竜たちの姿も時代とともにどんどん変わってきています。
ちなみに上の図版は1865年に描かれたイグアノドン (Iguanodon)(左) とメガロサウルス (Megalosaurus) の戦い。
お互いに相手の体に咬みついていますが、草食恐竜のイグアノドンが肉食恐竜のメガロサウルスに覆いかぶさり、やや有利といった感じでしょうか。
どちらの恐竜も現在の復元とはかけ離れています。
ところで恐竜はUMAとも切っても切れない関係であることはご存じの通り。
ネッシーの正体が首長竜 (首長竜は恐竜ではありませんが)、特にプレシオサウルス (Plesiosaurus) 説が長きに渡り君臨しました。
しかし同時にディプロドクス (Diplodocus) のような竜脚類の生存説も根強い人気でした。
竜脚類はその四肢で自分の体重を支えることができないため、半水生生活を送っていたに違いない、そう考えられていたからです。
(ブロントサウルスが半水生と考えられたいた頃の図板 (1925年))
上記図版の水に浸かっているのがブロントサウルス (Brontosaurus)、奥の陸に上がっているのがディプロドクス (Diplodocus) だそう。
有名なネッシー写真のひとつ、トニー・"ドク"・シールズ (Tony "Doc" Shiels) 氏によって発表されたものも首長竜というよりは竜脚類的です。
竜脚類タイプのUMA、モケーレムベンベ (Mokele-mbembe) もテレ湖 (Lake Tele) に生息していると考えられていたのも、そういった考えに基づいていたためでしょう。
(シールズ氏の発表したネッシー写真)
さてそれでは冒頭の図版の話しに戻りましょう。
コープ博士によって描かれたこの図板、手前の二足立ちしているカンガルーみたいな恐竜は獣脚類のドリプトサウルス (Dryptosaurus)、水面から顔をもたげて対峙しているのがなんとエラスモサウルス (Elasmosaurus)、後方の陸地にいるのが鳥脚類のハドロサウルス (Hadrosaurus) だそう。
この中でも最も目を引くのが首長竜最大の首の長さを誇ったエラスモサウルスの首がとても短い点です。
首だけで8メートルもあったと言われるエラスモサウルスがなぜにここまで短く復元されてしまったのか?
実はコープ博士、尾の側に頭をくっつけて発表してしまったのです。
本来首となる部分は尾と考えたため、首が短く尾が長い水生生物として描かれてしまいました。
このコープ博士の痛恨のミスを指摘したのが、生涯にわたるライバルというか泥仕合を繰り広げることになるオスニエル・チャールズ・マーシュ (Othniel Charles Marsh) 博士。
これを機に二人は不毛な化石戦争の火蓋を切ることになります。
1897年、チャールズ・R・ナイト (Charles R. Knight) 氏によって描かれたエラスモサウルスは首がグニャグニュに曲がる極端なものとなりました (上)。
最後はカカオ・スチャード (Cacao Suchard) というお菓子に封入されていた恐竜等、古生物のトレーディング・カードに描かれたエラスモサウルスを見て終わりにしましょう。
1900年頃に販売されていたカカオ・スチャード、当時すでにコープ博士が間違って復元していたことが判明していたにも関わらず、尾に頭をひっつけたコープ版エラスモサウルスでトレーディング・カードが作成されています。
イヤミか (笑)。
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