2020年9月26日土曜日

50億羽最後のリョコウバト「マーサ」の話

(マーサの剥製)

■50億羽最後のリョコウバト「マーサ」の話

ヨーロッパの移民たちがアメリカ大陸に渡った当時、この大陸でもっともありふれた鳥のひとつがリョコウバト (Ectopistes migratorius) です。 

当時、アメリカ大陸に生息していたリョコウバトの数は50億羽ともいわれています。

アメリカの鳥類学者ジョン・ジェームズ・オーデュボン (John James Audubon) は1兆羽と見積もったほどです。

名前の通り、渡りをするハトで、その時期にもなると空はリョコウバトで埋め尽くされ、何日もの間、空は真っ暗な状態が続いたといわれています。

一説にはその群れの長さは300マイル (約500キロ) にも及んだといわれています。

体長が40センチもある大柄なハトで、「もっとも美しいハト」と形容されることもある美しい羽を持ちます。

(image credit by John Henry Hintermeister/Public Domain)

しかしあまりにありふれた鳥であったため、人々の関心はリョコウバトの美しさに向くことはありませんでした。

移民にとってリョコウバトとは?

家禽のような手間もかけずとも容易に手に入る鶏肉、それがリョコウバトの位置づけです。

50億羽もいたリョコウバトです、移民たちはいくら殺しても平気だろうと高をくくっていました。

そのためリョコウバトは移民たちに徹底的に虐殺され続けました。

どんなに銃の扱いに慣れていないものでもリョコウバトを仕留めることは容易なことでした。

群れに向かってでたらめにライフルを放ってもリョコウバトは落ちてきます。

狙わずとも「当たってしまう」というのが適切な表現だったのかもしれません。

ときには必要以上の殺しすぎたため、家畜の豚を連れてきて掃除させたという逸話も残るほどです。

リョコウバトは渡りをするため筋肉がよく発達しており非常に美味だったという説もあります。

実際はどうかわかりませんが、不味くなかったのは確かでしょう。

食肉としての価値がなければこれほどまでに狩られることもなかったでしょうから。

しかし「無限」にいると思われていたリョコウバトが目に見えて減ってきたことを人々は肌で感じ始めます。

1860年代以降、焦った各州はリョコウバトの保護条例を相次ぎ発令し、リョコウバトの減少を食い止めようとしました。

しかし強制力を持たないそんな条例を守るハンターはおらず、リョコウバトの群れは見つけ次第弾丸をこれでもかというほど浴びせました。

20世紀を迎える頃にはもはやリョコウバトを見かけることはほとんどなくなり、いつの間にやら「超」がつく希少な鳥となっていました。

今回はそんな悲劇のリョコウバトマーサ (Martha) の話です。

野生下でほとんどリョコウバトを目にする機会がなくなる一歩手前ごろから、リョコウバトは「珍しい鳥」として動物園で展示されるようになっていきます。

数が多いことから繁殖力が高そうなイメージを抱かれがちですが、実は非常にデリケートで繁殖力が弱い鳥であったと考えられています。

それゆえ飼育下での繁殖の成功例はあまり多くなかったと考えられますが、そんな数少ない動物園で生まれた子の一羽がマーサです。

マーサの誕生年は諸説ありますが、もっとも有力なのは1885年です。

(剥製に展示されたマーサ)
(image credit by Ph0705)

彼女の名は、アメリカの初代大統領、ジョージ・ワシントンのファースト・レディ、マーサ・ワシントン (Martha Washington) から取られたものです。

上記の通り20世紀を迎える頃には野生のリョコウバトはほぼ全滅します。

動物園で飼われていたリョコウバトも次々と死んでいき、1910年7月10日にオスのリョコウバトが死ぬと、文字通りマーサが地球上最後のリョコウバトとなりました。

マーサはシンシナティ動物園で生まれ、同動物園で飼育されていたため、一度も空を羽ばたくことのなかったリョコウバトです。

少し前まではそのリョコウバトの美しさに見向きもしなかった移民たちですが、それがなんであれ、「希少」となれば話が違ってきます。

それはリョコウバトも同じでした。

マーサはもっとも移民たちに注目され、もっとも愛されたリョコウバトとなります。

動物園に来る人々はみなマーサが目的でした。

しかし最後のオスのリョコウバトが死に地上に残った最後のリョコウバトとなった1910年、マーサはすでに25歳という高齢でした。

注目を浴び始めたとき、彼女の生命力はゆっくりとゆっくりと失われている時期だったのです。

マーサの飼育員は、高齢の彼女が容易に止まり木に乗れるよう鳥かごの床からわずか数インチ (5~10センチ程度) のところに付け替えてあげたといいます。

止まり木に飛び乗るのも大変なぐらいです、マーサは高齢のためあまり動かなくなってきました。

動くこともままならないマーサを不満に思う来園者の中には、彼女に向かって砂を投げつけるものすらいたといいます。

来園者の特に多い休日にはそんな輩からマーサを守るため、鳥かごの周りにはロープを張りました。

マーサの年齢や健康状態を考慮すれば、おそらく展示させるべき状態ではなかったことは想像に難くありません。

なぜ展示をやめなかったのか?

ほとんどの来園者の目的はマーサであったため、マーサの展示をやめれば来園者の数に大きく影響するからです。

地球上に残るリョコウバトは高齢のマーサ一羽だけ。

リョコウバトの絶滅は免れる術はありません。

そしてそのときはやってきました。

1914年9月1日、午後1時。

マーサは止まり木からぽとりと落ちると、二度と止まり木に乗ることはありませんでした。

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