2022年11月16日水曜日

狩られまくるは運も悪いは悲劇の鳥 ~ ニューイングランドソウゲンライチョウ (ヒース・ヘン)


■ニューイングランドソウゲンライチョウ (ヒース・ヘン)

今回はニューイングランドソウゲンライチョウ (Tympanuchus cupido cupido)、久々の絶滅動物記事です。

和名があまりに長いので、この記事では以下英名のヒースヘン (Heath hen) で呼ぶことにします。

北米入植者の影響で無限とも思える50億羽のリョコウバト (Ectopistes migratorius) が絶滅に追いやられたインパクトがあまりに強いため、日本でヒースヘンの知名度はそれほど高くないかもしれません。

ヒースヘンは北米大陸北東のニューハンプシャー州からバージニア州にかけて生息していました。

ヒースヘン絶滅の主要な原因はヨーロッパからの入植者の乱獲で間違いありませんが、それだけでなく気紛れな自然にも翻弄されました。

入植者たちに真っ先に目をつけられ、ただで手に入る「美味しい食料」のひとつとしてヒースヘンは狩られまくり、早くも1870年代 (1840年代説もあり) には本土から姿を消しました。

残すはマサチューセッツ州に属するマーサズ・ヴィンヤード島 (Martha's Vineyard) の300羽のみ。


さすがに手厚く保護、、、はせず、この島のヒースヘンも徐々に数を減らしついには70羽台、入植者たちもことの重大さに気付き1908年、慌ててヒースヘンを「狩猟禁止」とし同島を「ヒースヘンの保護区」としました。

ヒースヘン保護区となったヴィンヤード島は「世界で唯一ヒースヘンの求愛儀式 (ブーミング) が見られる島」として観光で賑わったといいます。

もともと繁殖力自体低いわけではないため2000羽近くまで持ち直しこれで安泰か?と思った矢先、アクシデントによるオオタカ (Accipiter gentilis) の島への移入で今度は人類に代わりオオタカによる「乱獲」がはじまります。

さらには一時期70羽代まで減ったところからの復活であり、近親交配が進んだことにより多様性の減少による種の弱体化、不運は続くものでお次はヒストモナス病 (黒頭病, Histomoniasis) の流行、とどめは山火事でついに100羽前後まで減少してしまいました。

こうなると赤信号に限りなく近い黄信号、なんとかせねば、、、

と思う間もなく、手厚い保護を続けるものの減少に歯止めはかかりません、時すでに遅し、多様性が失われたことによるものでしょうか、1927年には僅か13羽 (オス11羽・メス2羽) まで数を減らします。

さらに近親交配は進み、もはや絶望的な数です。

そして最期のときが来ました。

とうとう繁殖不可能な1羽のみとなってしまったのです。

最後のリョコウバトはメスのマーサでしたがヒースヘンの最後の1羽はオスでした。

メスであれば奇跡の単為生殖もあり得ますがそれすら期待できません。

そのオスにはブーミング・ベン (Booming Ben) というニックネームが与えられました。

この名は前出のヒースヘンのオスが繁殖シーズンにブーミングと呼ばれる高くさえずりながら踊る求愛ダンスに由来します。

ベン以外のヒースヘンが見当たらなくなった、つまりベンが独りぼっちになったのは1928年12月8日といわれています。

「さえずり」とは求愛と共に自分の縄張りを主張するための鳥の鳴き声のことを指します。

しかしベンはヒースヘン最後の一羽、どれだけ注意深く、そしてどれだけ念入りに島中隈無く探しても求愛相手のメスの姿はありません

それどころか、、、縄張りを争う恋敵のオスすらいないのです。

景気のいい (ブーミングな) ニックネームをつけられたものの、ブーミングを披露する機会は一度も訪れませんでした。

それどころかベンが独り寂しく呆然と立ち尽くしている姿は何度となく目撃されました。

最後の目撃は1932年3月11日、それはヒースヘンが絶滅した日であると共に、ベンが3年超の孤独から解放された日でもありました。

(参照サイト)

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