オーストラリア北東部、現クイーンズランド州付近には、イルカンジ部族 (Yirrganydji or Irukandji) と呼ばれるアボリジニたちが住んでいます。
彼らの伝承には、海に住むはとても小さな見えざる「怪物」が登場します。
「怪物」は非常にちっぽけな存在でありながら部族を苦しめ、時に死に追い込むこともあるといいます。
そう、この見えざる怪物こそ、殺人クラゲ、キロネックス・フレッケリに勝るとも劣らない超猛毒クラゲ、イルカンジクラゲ (Irukandji jellyfish) のことです。
もちろんこのクラゲの名は、この猛毒クラゲを以前より知るイルカンジ族に敬意を表して命名されたものです。
イルカンジクラゲはキロネックスと同じ立方クラゲ (box jellyfish) の仲間で、その名の通り傘の形が一般的なドーム型ではなく立方体に近い形をしています。
現在、イルカンジクラゲと呼ばれる仲間は16種類知られており、今後も増えるかもしれません。
イルカンジクラゲとキロネックスと決定的に異なるのはそのサイズで、立方クラゲ最大クラスの20センチの傘を持つキロネックスに対し、イルカンジクラゲのそれは1センチ程度 (5ミリから最大25ミリぐらい) しかありません。
透き通った体にわずか1センチの傘しかもたないイルカンジクラゲ。
イルカンジ族に「見えざる怪物」と形容するのもうなずけるでしょう。
さて、こうなってくると気になるのは毒性です。
クラゲに刺されたときのダメージは、毒の強さや、毒をいかに効率よく相手に伝えるかなどでも大分異なってきますが、基本的に刺された面積、つまり触手が触れた面積に比例します。
よって、触手の数が多く、そしてより長いほうが相手にダメージを与えることができます。
これだけ小さなイルカンジクラゲに人を殺傷するほどの毒を持つことは可能なのでしょうか?
キロネックスは傘の四隅から各15本、合計60本の触手を持ち、その触手も最大4メートルにもなります。
一方、イルカンジクラゲも傘の四隅から触手が出ていますが、各1本、合計4本しか持たず、最大1メートルといわれますが、大抵は数センチしかありません。
興味深い特性として、イルカンジクラゲは触手だけでなく、傘の部分にも毒針 (刺胞) を持ちます。
こんな触手の数も少なく、かつ短いイルカンジクラゲにそんな殺傷能力があるとは信じがたいです。
イルカンジ部族の伝承から毒性が誇張されているだけでは?
しかし、実はそうではないのです。
イルカンジクラゲの毒性は掛け値なし凄まじいことが分かっており、あまりに小さく本当にイルカンジクラゲにやられたものか断定できるものが少ないにせよ、その症状 (イルカンジ症候群) から確実にイルカンジクラゲによって死亡した例も判明しています。
そして、実際のイルカンジクラゲの犠牲者の数はそれよりも遙かに多いだろうと推測されています。
というのも、現在までに「溺死」もしくは「変死 (死因不明)」などで片づけられている海難事故の中に、実は一人で泳いでいて、イルカンジクラゲに刺され、その後症状が現れ溺死してしまった人も相当数いると考えられるからです。
イルカンジクラゲはとても小さいため、刺された直後はそれに気づかないほどで、また傷跡もほとんど目立たないといいます。
しかし、大変なのはその後です。しばらくすると頭痛、腰痛、筋肉痛と体中のありとあらゆる部分が激痛に襲われ、さらに動悸、急激な血圧上昇など、運が悪いとそのまま死に至ります。
このイルカンジクラゲに刺されたときに現れる諸症状を「イルカンジ症候群 (イルカンジ・シンドローム, Irukandji syndrome)」といいます。
イルカンジクラゲのニックネームは「インビジブル・サイレント・キラー (Invisible silent killer, 「見えざる静かな殺し屋」)」、その名に恥じない、海のヒットマンといえます。
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