■もうひとつのイエレン ~ 月亮山の野人 (ユエリャン・シャン・イエレン)
中国の獣人と聞けばUMAファンであれば真っ先に「野人 (イエレン)」が思いつくことでしょう。
「イエレン (Yeren)」は「野人」の中国語読み (発音) で特定のUMAのニックネームではありません。
日本でいうと「獣人」といっているような感じですかね。
但し、一般的に断りなく「野人」と呼ばれる場合、湖北省神農架地区 (こほくしょう しんのうかちく) の獣人を指し、実際に神農架は最も野人の目撃の多い地域のひとつです。
中国では「神農架の野人」という呼ばれ方をしますが、この野人が初めて目撃された1970年代以降、現在に至るまで110件、120人の目撃情報が寄せられているといいます。
今回はこちらの有名な本家 (?) 野人ではなく、日本では少しマイナーな貴州省 (きしゅうしょう) の月亮山 (ゲツリョウサン)) で目撃される「月亮山の野人」を紹介します。
「神農架の野人」が1970年代から目撃があるのに対し、「月亮山の野人」は1930年代から目撃があり、イエレンといえばむしろこちらが元祖といえます。
そのため目撃情報も多く、少なくとも1000人以上 (3000人とも) の目撃が報告せれています。
神農架の野人と決定的に異なるのは月亮山の野人の目撃事件は血なまぐさいものが多いということ、それに加えなんとなく「獣人 = オス」のイメージがありますが月亮山の野人はメスの目撃が多いという点です。
まあ獣人といえど野生動物と考えればオス・メスがいるわけでなんら珍しいことではないのですが獣人というカテゴリーで考えると少し珍しい感じです。
月亮山の野人の目撃談として最も衝撃的なのは1930年6月に起きた、最初期の遭遇事件です。
その日、ミャオ族の12人の男たちが狩猟犬12頭と共にが月亮山に狩りに出かけたときのこと、その日は一匹の獲物も得ることができず諦めて下山しているときだったといいます、突如犬たちが吠え始めました。
男たちは獲物が近くにいると思い散弾銃を構えると、犬たちの吠える方向には茶と黄色が混じった毛むくじゃらで二足立ちするメスの獣人がいました。
オランウータンに似ていましたが遥かに大きく、身長は180センチ以上もありました。(オランウータンは120~130センチ)
猟犬たちは男たちの号令とともに一斉に野人に向かって襲い掛かったといいます。
臆病そうに立っていた野人でしたが、犬たちが襲い掛かるとその態度は一変、犬を素手で捕まえるや怪力で体を引き裂き、襲い掛かった11頭の犬たちは次々と殺され当たりは瞬く間に血の海となりました。
彼女はその敵意を今度はミャオ族たちに向けると、男たちの集団に突進していきました。
男たちの一人が獣人に向かって発砲すると見ごとに獣人の太ももに命中、男たちは獲物として村に持ち帰り、村人たち皆で獣人を食べたといいます。
また、1950年代には中国民兵により獣人の老若男女の集団 (群れ) が目撃されたというものもあります。
民兵はそのうちの一匹を射殺すると群れは散れ散れに逃げていったといいます。
1996年には1930年代以降の人間たちの蛮行に対する仕返しとばかりに、やはりこれまたメスの獣人が現れ、老人男性を捕らえ性的暴行を加えたうえで窒息死させた、という信じられないような目撃事件も起きています。
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