■【実在】犠牲者135人、ツァボの人喰いライオン ~ バッファロー・ライオン
今回は「ツァボの人食いライオン」ことバッファロー・ライオン (Buffalo lion) です。
バッファロー・ライオンはUMA的な呼び方で、一般的には日本語では上記の通り「ツァボの人食いライオン」、英語では「ツァボ・マン・イーター (Tsavo Man-Eaters)」とか「ツァボ・ライオン (Tsavo Liones)」と呼ばれます。
これは完全に実在した (する) ライオンで剥製も残っています。
詳しく書くとそれだけで本1冊になるほどの情報であるためポイント押さえ簡潔に紹介しましょう。
まずツァボ (Tsavo) とは東アフリカ、ケニア共和国の一地域です。
この地に隣国ウガンダ共和国とを結ぶ鉄道建設の話が持ち上がり、イギリス主導の元、工事が始まりました。
その際、避けて通れないのがツァボ川の鉄道橋の建設で、鉄道橋工事は1898年3月に着手されました。
この鉄道橋建設のプロジェクトリーダーはアイルランド人ジョン・ヘンリー・パターソン (John Henry Patterson) 中佐。
この鉄道橋の建設と時を同じくして人喰いライオンが出没し始めました。
そのライオンは2頭のオスライオン、特異なのはこの2匹がオスでありながら鬣 (たてがみ) を持たないこと。
襲撃は必ず真夜中、狙いはテントで眠る鉄道橋の作業員たち。
作業者を守るべくキャンプ地は高いボマと呼ばれる有刺鉄線を張り巡らしますが、キャンプ地が広いこともあり、ボマにはどこかに強度が弱い部分やほころびがあり、そこをついて侵入してきたといいます。
基本は1頭がボマの外で待ち、1頭が襲撃するというスタイル。
テントで眠っている作業員を連れ去るのは造作もないことで、彼らはボマの外へと犠牲者を運ぶとその場で食べてしまうことも少なくなかったといいます。
パターソン中佐によればその襲撃はほぼ毎夜行われていたといいます。
時代も時代であり、夜間のライトが十分ではなく物音を立てずにキャンプに近付くライオンを察知するのは不可能に近かったようです。
また、このライオンたちは非常に聡明・狡猾で、パターソン中佐によればいわゆる彼らは「神出鬼没」、襲われたキャンプ地で武装し待ち伏せすると、他のキャンプ地を襲撃するという常に中佐の裏をかいたといいます。
当然ながら労働者たちはライオンに対する恐怖から仕事を放棄する人が続出するようになります。
トロフィーハンターでもあるパターソン中佐は大勢の脱落者によりプロジェクトが頓挫しかねない状況になったことで人喰いライオン狩りに本腰をあげます。
上記の通り、待ち伏せは常に裏をかかれ、罠を仕掛けるも失敗、労働者への安全対策も不十分 (銃器は貸与しない) な上、ライオン狩りも失敗続きとなれば信頼は凋落の一途を辿るばかり。
しかし、そんな窮地が続く中、ついに1898年12月に入り、1頭目を9日に、そして2頭目を29日に射殺することに成功、こうして伝説の人喰いライオンたちはいなくなりました。
(パターソン中佐と射殺したツァボ・ライオン)
(image credit by Wikicommons)
このオスライオンたちはおそらく兄弟であり、パターソン中佐はこの2頭で135人を食い殺したと主張しています。
ライオン界のギュスターヴ (300人を殺した人喰いナイルワニ) といったところです。
まあ3月から12月まで毎夜のようにキャンプ地を襲ったという主張ですのでその間10ヶ月、約300日ですからあり得るというか、むしろ少ないぐらいです。
しかしパターソン中佐の証言はどうもそのまま鵜呑みにすることはできないようです。
前述の通りライオンが怖くて逃げだした作業員を「ライオンの襲撃による行方不明者」とカウントしていたとの水増し疑惑があり、後の専門家による研究結果では実際はせいぜい多くとも30人前後ぐらいだったのでは?と試算されています。
ま、それでもとんでもない数ではありますが。
また、パターソン中佐はこの兄弟ライオンを非常に健康的なライオンと証言しており、通常、健康なライオンがに人間を襲撃することは稀であることから人間を襲うことに特化した特殊なライオンと位置付けました。
射殺した一頭の犬歯の破損が見つかっていましたが、これはパターソン中佐が以前に人喰いライオンと対峙した時に命中した証拠であると主張していました。
しかし実はこれも間違っており、この犬歯の破損は感染症によるものであることが現在の研究で判明しています。
やはり犬歯がないことによる狩猟のハンデから、ノーリスクで襲える人間にターゲットを切り替えた可能性が高いことが示唆されています。
とはいえ、このツァボではこの兄弟ライオン射殺以後も、人喰いライオンによる交渉事故は相次いでおり、パターソン中佐の見解が全くの的外れではないかもしれません。
(射殺された2頭のツァボ・ライオンの剥製)
(image credit by Wikicommons)
さて最後にUMAの話を付け加えましょう。
このツァボ一帯には実際に鬣のない、もしくは著しく短いオスが多く、上記の兄弟ライオンを含めUMA的にはバッファロー・ライオンと呼びます。
元々はバッファローを好んで襲うからその名がついたといいます。
このバッファロー・ライオンはオスが鬣を持たず、オス同士で狩りをし、人間を襲う、という特殊な容姿・行動を持つことから、環境に適応したライオン (Panthera leo) の個体群ではなく、絶滅したホラアナライオン (Panthera spelaea) の末裔 (まつえい) だと主張する未確認動物学者もいます。
これはホラアナライオンはオスでも鬣を持っていなかったと考えられているからで、大きさは僅かに現生のライオンより大きい程度でした。
絶滅動物の生存説は夢があり面白いのですが、なにせホラアナライオンはアフリカに棲息しておらず (ユーラシア大陸・北米の一部)、そこら辺がちょっと難しいところです。
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ツァガとツァボで表記揺れてる気がします
返信削除ご指摘ありがとうございます、とても助かります!
削除直しておきました。