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2023年3月29日水曜日

タスマニアタイガーはつい最近 (2000年代) まで生きていた可能性があるらしい


■タスマニアタイガーはつい最近 (2000年代) まで生きていた可能性があるらしい

「野生の個体が生き残っていたとしてもそれはせいぜい1950年ごろまでだったでしょう。最後のタスマニアタイガーは森の中で人知れずひっそりと息を引き取ったのではないでしょうか。

タスマニア島では膨大な数のロードキル (轢死する野生動物) があり、その数は年間293,000匹ほどにもなります。

ですが、何十年もの間、ロードキルにタスマニアタイガーはただの一匹も含まれていないんですよ」


タスマニアタイガーの和名はフクロオオカミで稀に日本ではタスマニアオオカミとも呼ばれる場合もあります。

背中の縞模様を除けばタイガーというほど虎っぽくはなく、形態は犬 (オオカミ) に似ていますが、虎でもなければ犬でもなく、カンガルーやコアラと同じ有袋類です。

英語圏では日本同様タスマニアタイガーもしくはタスマニアウルフとも呼ばれますが、一般的にはその学名 (Thylacinus cynocephalus) からサイラシン (Thylacine) と呼ばれることが多いです。

タスマニア島は本土オーストラリアが大きすぎるため小さく見えますが、60,637平方キロメートルと想像するより大きいです。

北海道 (78,073平方キロメートル) ほどはありませんが、四国と九州を足した (55,294平方キロメートル) よりも大きいのです。

(最期のタスマニアタイガー、ベンジャミン)

人口は50万人を超えるぐらい、北海道 (500万人超) の約1/10です。

ロードキルの数は人口に迫るほどで人口に対して随分と比率が高く、いかに多くの自然が残されているか分かります。

冒頭のコメントは、このサイトでも何度か引用しているものですが、オーストラリアのクイーンビクトリア美術館アートギャラリーの館長、デビッド・メイナード (David Maynard) さんがタスマニアタイガーが現在生存している可能性はあるか?という質問に対してのものです。

野生の個体は1930年に射殺されたのが最後、タスマニアの首都ホバートの動物園で生き残っていたベンジャミンが1936年に亡くなったのをもって絶滅したものと考えられています。

しかしそれ以後も毎年何十という目撃が報告されることからひょっとしてまだ生き残っているのでは?

こういった絶滅した (はずの) 生物が目撃されるのもUMAとして数えられますが、このタスマニアタイガーの絶滅は思っているよりもずっと後だったのではないかという研究結果が発表されました。

公式的には1936年に絶滅、しかし冒頭のメイナードさんのように1940~50年代までは少数ながら野生の小さな個体群が生き延びていた可能性を指摘する人も少なくありません。

このほどタスマニア大学の研究グループは科学ジャーナル誌、サイエンス・オブ・ザ・トータル・エンバイロメント (Science of The Total Environment) にサイラシンの絶滅時期についての新見解を発表しました。

グループは1910年から現在までの100年以上に及ぶ期間の政府の持つアーカイブ記録、公開レポート、新聞記事、博物館のコレクション、個人のコレクション、書籍等を隈なく調査し、信頼に足る1237件の目撃情報を集めました。

これらのデータを場所や日付、さらに目撃した人物が専門家であるか否か (つまり一般人) でさらに細かくデータベース化することにより目撃地点・目撃数を評価しそれらの収束値から絶滅場所や絶滅日を導き出しました。

この結果、それらの収束値は1999年と2008年の2つが出来上がり、研究グループの見解では1999年が可能性がより高いと判断しました。

これは特に1940~1999年の60年間は安定した目撃数が報告されていたものの、2000年以降は極端に数が減り、この時期から現在に至るまで携帯やスマートホンの普及によって、より写真に収めやすいにも関わらず目撃情報が減少していることを理由としているようです。

UMAの世界ならまだしも、一般的にはとっくの昔に絶滅したと考えられていたタスマニアタイガーが思っていたよりも60年先まで生き延びていたとしたらこれは驚愕の事実です。

1999年あたりといえばわずか20数年前、収束値のもう一つの山である2008年を採用すればわずか15年前、いずれにしてもつい最近まで人知れず生き延びていたなんていうのは夢があります。

そのぐらいまでもし本当に生き残っていたと考えるのであれば、それこそ小さな個体群がいまだにどこかで生き残っているかも?と期待したくなります。

(参照サイト)



2023年3月28日火曜日

モケーレ・ムベンベの従兄弟はマナティーが主食 ~ ジャゴ・ニニ


■モケーレ・ムベンベの従兄弟? ~ ジャゴ・ニニ

今回はアフリカの恐竜系UMA、ジャゴ・ニニ (Jago-Nini) です。

ジャゴ・ニニは大西洋に面した中部アフリカのガボン共和国に伝わるUMAで、一般的にはコンゴ共和国で目撃されるモケーレ・ムベンベと同一視される傾向があり、同国で目撃されるニャマラ (N'yamala)と同じとする説もあります。

ガボンは東はコンゴ共和国、北はカメルーン共和国と接しており、UMAは国境を理解して棲み分けているわけではありませんから、複数国に渡って同一のUMAが目撃されることは不思議ではありません。

モケーレ・ムベンベ (Mokele-mbembe) がリンガラ語 (Lingala) で「川の流れを堰き止めるもの (one who stops the flow of rivers)」を意味し水中に入るこが示唆されますが、ジャゴ・ニニ (Jago-Nini) もまたプヌ語 (Punu) で「水に潜る巨大なもの (Giant diver)」を意味します。

その姿はやや漠然としており、単に「恐竜」的 (竜脚類) であったり「恐竜に似た大型爬虫類」であったりします。

象牙商人のアルフレッド・アロイシャス・スミス (Alfred Aloysius Smith) 氏が著書「トレーダー・ホーン (Trader Horn)」に記したことでジャゴ・ニニが西洋に広く知られるなりました。

ジャゴ・ニニは人間にとってアンフレンドリーな存在であり、人間をそして人間よりはるかに大きなマナティーを捕えて食べるといいます。

半水棲 (沼や川) と思われるこの生物は19世紀末ごろより目撃されており、おそらくは待ち伏せ型なのか水中で息を殺し獲物である人間を含めた生物が水辺近くに現れるのを待ちます。

決して敏捷とはいえないものの巨体のマナティーを捕えて食べるというのだから人間などひとたまりもないでしょう。

せっかくマナティーが登場したので少し触れましょう。

(アフリカマナティ―)
(image credit by Wikicommons / Public Domain)

アフリカでみられるのは世界に3種いるマナティーのアフリカマナティ― (Trichechus senegalensis) です。

アフリカマナティ―は西アフリカの河川および西海岸沿いに生息し、ジャゴ・ニニの故郷、ガボン共和国にももちろん生息しています。

マナティーの最大種はアメリカマナティー (Trichechus manatus) で、最大の個体は体長4.6メートル、1655キロというとんでもない記録があります。

アフリカマナティ―はアメリカマナティーの次に大きくなる種で、最大の個体はアメリカマナティーに引けを取らない4.5メートルという記録があります。

通常は大きくても3メートル前後、550キロぐらいなので上記の個体はとんでもない大きさということがわかるでしょう。

さてジャゴ・ニニに話を戻しましょう。

と言っても、残念なことにここ最近はその目撃したという話は皆無のようです。

アフリカに多い獣脚類系UMAで恐竜の生き残りと考えるのはいささか無理がありますが、同系のニャマラは最近になっても目撃はありますし、まだまだ期待できるUMAです。







2023年3月27日月曜日

スコットランドのシェイプシフター系UMA ~ ブーブリー

(image credit by Wikicommons)

■スコットランドのシェイプシフター系UMA ~ ブーブリー

スコットランド西部のアーガイル (Argyll) 地方の湖にはちょっと風変わりなレイク・モンスターが目撃されます、ブーブリー (Boobrie) です。

まあレイク・モンスターとはいえ水棲ではなく、湖 (loch) もしくはその周辺に棲息しているという意味で、その姿は一般的には水鳥で、特にハシグロアビ (Gavia immer) を巨大化させたよう、と形容されます。

(ハシグロアビ)
(image credit by Wikicommons)

但し、シェイプシフター (自由にその姿を変えられる生物) と考えられており、ブーブリーは単に水鳥の姿を好んでいるだけという解釈もあります。

獰猛な性質で、その巨体を保つために食欲は旺盛、ヒツジやウマといった家畜を襲って食べるといわれています。

とはいえ、シェイプシフターという時点でもはや実在する生物とは考えにくく、あくまで民間伝承上の生物です。

しかしこの生物はUMAとしても魅力的な一面を持ちます。

UMAの正体のひとつとして絶滅動物の生き残り説があります。

その多くは恐竜であったり、同時代の大型海生爬虫類や翼竜、その後に現れた太古の哺乳類と敷居の高すぎるものが多い中、ブーブリーのそれはついこの間、19世紀半ばまで実在した生物、オオウミガラスです。

一般的にブーブリーはオオウミガラスの生き残りとは考えられていませんが、この水鳥が元になっているといわれています。

オオウミガラス (Pinguinus impennis) はペンギンによく似たウミスズメ (Alcidae) の仲間で体長は80センチ、5キロもあり空を飛ぶことはできませんでした。

(おそらくオオウミガラスの絶滅前に描かれたと考えられている絵)
(image credit by Wikicommons)

数百万羽ととてつもない数が棲息していましたが、ドードー (Raphinae) さながら人間に対する恐怖心を全く持たず、また飛べないことからヨーロッパ人たちに狩られまくり瞬く間に数を減らしていきました。

人間の手の届く範囲にいるオオウミガラスはすべて狩られましたが、四方が絶壁で波が強く人間が近づくことのできないゲイルフグラスケル島 (Geirfuglasker) のオオウミガラスたちだけはなんとか生き残りました。

しかしここでも彼らは運がありませんでした、海底火山の噴火により島が沈んでしまい、近くのエルデイ島 (Eldey) に「強制移住」することを余儀なくされたのです。

しかしここは人間の手が届く島でした。

(ドードー)
(image credit by Wikicommons)

残りはわずか50羽、繁殖力が極端に脆弱なオオウミガラスたちにとって、もはやこの時点で絶滅は免れなかった可能性はあります。

とはいえ、最後の最後まで保護の手を差し伸べられることはありませんでした。

現在であれば保護する立場にあるべき博物館もその希少性から高値で標本の取引をもちかけ、オオウミガラスの絶滅へ拍車をかけました。

一攫千金とエルデイ島に群がるヨーロッパ人たち。

残念ながらまだそういう時代だったということ。

絶滅した日がはっきり判明している生物も稀にありますが、オオウミガラスはその最期の個体を「狩った」人物たちの名がわかっている珍しいケースです。

シーグルズル・イスレイフソン (Sigurður Ísleifsson) 氏とジョン・ブランソン (Jón Brandsson) 氏、そしてケイティル・ケティルソン (Ketill Ketilsson) 氏の3人のアイスランド人船乗りたちです。

1844年6月3日、抱卵中だった最期のつがいはシーグルズル氏とジョン氏によって絞め殺され、卵はケイティル氏によって踏み潰されました。

後にシーグルズル氏とジョン氏は武勇伝さながら自慢げにインタビューに答えてしまったため、歴史にその名を遺しました。

まあ最期はたまたま彼らが殺したというだけで、特別に悪いというわけではないのですけどね。

とはいえ、今では地球上でもっとも自然に優しく動植物にフレンドリーな国のひとつであるアイスランドですから、果たしてかれらのことをどう思っていることやら。



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