■バルバドスの移動する棺桶 ~ チェイス・ヴォールト
旧UMAサイト (UMAファン) とオカルトファン、すべて統合中なので今回はオカルトファンから「バルバドスの動く棺桶 (The moving coffins of Barbados)」。
チェイス・ヴォールト (「チェイス家の地下安置所」の意, Chase Vault) とも呼ばれます。
カリブ海に浮かぶ小さな島、バルバドス (Barbados)、かつてこの島のサトウキビ栽培で一財産を築いた男性がいます。
男の名は、トマス・チェイス (Thomas Chase)、彼の富はアフリカから連れてこられた多くの奴隷たちの労働力なくしては築かれなかったといわれています。
彼の名を後世に残しているのはその偉業ではありません。
彼の名を後世に残しているのは、彼自身、そして彼の身内の棺桶が動いてしまう、という奇妙な現象のためです。
1807年、トマシーナ・ゴッダルド (Mrs. Thomasina Goddard) 夫人の棺が安置されている地下納骨所の権利がトマス・チェイスに渡りました。
この地下安置所に最初に安置されたチェイス家の人間は、わずか2歳でなくなったアン・マリア・チェイス (Ann Maria Chase)、1808年のことでした。
それから4年後の1812年7月、今度はアンの姉に当たるドルカス・チェイス (Dorcas Chase) が12歳で亡くなり、妹と同じ場所に安置されました。
そしてドルカスの死からわずか1ヶ月後の8月、トマス・チェイス本人が亡くなりこの地下納骨所に安置されることとなりました。
トマス・チェイスの棺を地下安置所に降ろそうと、地下への唯一の扉である重い大理石造りの石蓋を開けると、最初に安置された子供たちの棺がひっくり返っていたのです。
この墓荒らしの仕業は黒人奴隷たちに違いないと噂されました。そう、トマス・チェイスの富は奴隷たちを酷使して得たものだったからです。
チェイスは奴隷たちに対し、日常的に無慈悲かつ残酷な振る舞いをしていたことは有名でした。
娘のドルカス・チェイスが亡くなった原因も、トマス・チェイスによる虐待であったとか、父親 (トマス) の日頃の奴隷たちに対する無慈悲な行動を非難して絶食したことによる餓死だった、などと噂されるほどであり、トマス・チェイスの人間性は褒められたものではありませんでした。
トマスの死後も「イタズラ」は続きました。
トマスの死から4年後、1816年10月、チェイス家の親戚、生後11ヶ月のサミュエル・ブリュースター ・エイムズ (Samuel Brewster Ames) が夭折、その1ヶ月後の11月にサミュエル・ブリュースター (Samuel Brewster) が黒人奴隷たちの反乱によって命を落としました。
1819年7月にはトマシーナ・クラーク (Thomasina Clarke) 夫人が亡くなりました。
その都度、地下安置所に収められた棺桶は移動していました。
この奇妙な現象が小さなコミュニティの間に広まらないはずがありません、カリブに浮かぶバルバドスは「チェイス家の動く棺桶」の話題で持ちきりとなります。
地下へと続く通路は石蓋を開ける以外にありません、入念に地下室の壁を調査しても、どこにも「秘密の抜け穴」を見つけることは出来ませんでした。
トマス・チェイスの棺桶は8人がかりでやっと運べるほどの重いものであり、ちょっとした浸水などで動いたとはとても思えません。
地震説も唱えられましたが、こんな短期間にそれほど重い棺桶をその都度動かすほど頻繁に地震が起きるわけもありませんし、実際、そういった地震も記録されていませんでした。
トマスは多くの恨みを買った人物です、きっと恨みを持つ「誰か」によるイタズラに違いありません。
この「イタズラ」の真相を解明すべく、納骨所の床には砂が撒かれました。
万一、誰かが地下安置所に足を踏み入れようものなら足跡が残るはずですし、その足跡から「犯人」の人数や人物を特定するヒントが得られるかもしれません。
そして納骨所に入る唯一の入り口である石蓋にはモルタルで封をし、開けたらすぐにわかるようサインも残しました。
これで石蓋に開けた痕跡もなく棺桶が動いてるようなことがあったらそれこそ奇跡です。
トマシーナ・クラーク夫人が亡くなって数ヶ月後、チェイス家に死者は出なかったにも関わらず、この地下安置所に入ってみようという提案が出されました。
これはチェイス家の棺桶を案じてのことではありません、「チェイス家の動く棺桶」に対する好奇心をもはや島民たちは抑えきれなくなっていたのです。
残念 (?) なことに、石蓋のモルタルにはなんの異変も無く、サインもそのままでした。
唯一の出入り口に異変がないのですから地下安置所に誰も足を踏み入れていないことは火を見るよりも明らかです。
地下に入るまでもなく、そのままでも良かったはずです。
しかし彼らはそうはしませんでした、モルタルで固めた石蓋を開け、棺桶がどうなっているか確かめに降りて行ったのです。
異変はありませんでした、床に撒かれた砂はそのまま足跡ひとつ残っていませんでした。
しかし、整然と並んでいるべき6つの棺桶は今まで通りすべてでたらめに移動されていたといいます。
これらを証明する客観的な証拠や資料は残っていません。
しかしこれが本当の話であるかどうかは疑わしいといいます、というのもこれはトーマス・H. オーダーソン (Thomas H. Orderson) なるキリスト教会牧師が語った逸話であるといわれており、牧師の話には矛盾が見られるということです。
後世、オーダーソン牧師の逸話に創作が加わり現在のような話になったのではないか?といわれています。
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