■福岡に現れた獣人 ~ 鞍手の猩猩 (しょうじょう)
今回は「鞍手 (くらて) の猩猩 (しょうじょう)」
福岡県北西部、鞍手郡山口村で目撃された獣人系のUMAです。
1874年から1893年の20年間にわたり東京で発行された「絵入朝野新聞」の1883年 (明治16年) 4月27日号に掲載されたもので、鞍手の猩々目撃自体は同年4月5日とのことです。
猩猩 (猩々) とは元々、中国から伝わった伝説上の獣で、頭部は人間に似ており、二足歩行し人間の言葉を操ることができるといわれています。
また酒好きの生物としても知られています。
日本では江戸時代以降、伝説上の動物であると同時にオランウータンを指す言葉として使われ、つまりUMA的には獣人といえます。
鞍手郡山口村の菊池保平なる人物が隣村に出かけた際、山中でばったり遭遇したといい、その姿はサルに似ていたといいます。
但し、白い毛が多く混ざり (もしくは全身真っ白?)、サルに似ているもののサルではないと思ったといい、驚きのあまり大声をあげると、猩猩はその声に驚き山の奥へと逃げて行ったといいます。
伝えられる猩猩のように人間の言語を操るといったパラノーマル感はなく、極めて信憑性の高い遭遇事件ですが、その実在性をさらに補うような目撃事件が起きます。
菊池保平が猩猩を目撃した僅か5日後の4月10日、またも山口村で獣人の目撃があったのです。
この目撃事件は「南海新聞」1883年5月3日号に掲載されました。
但し、同名の新聞は岸和田で1911年 (明治44年) ごろ発行されていたものや、似た名前の1946年 (昭和21年) 創刊の南海日日新聞があるものの、鞍手の猩猩を報道時に発行されていた南海新聞は特定できず詳細は不明です。
さて新聞によれば夫婦で畑仕事をしていたところ、人間でいうと10歳ぐらいの背丈の生物が山から下りてきたといいます。
全身毛むくじゃらで特に頭部の毛 (頭髪) は長かったといい、ややタヌキに似ていたともいいますが、単に身近な動物に例えたのかもしれません。
「猩猩だ!」と叫ぶとその生物は驚いて逃げてしまったといいます。
人間の子供の背丈に例えたり、タヌキに例えたりしたことから、この生物が二足歩行および四足歩行を行ったのかもしれません。
残念ながら菊池保平が証言した「白い毛」に関する記述がないことから両者を確実に結びつけることはできませんが、この夫妻も猩猩に例えたことから獣人的であったことは間違いありません。
獣人の正体はクマであることが多いですが、この鞍手の猩猩に関してはクマ (ツキノワグマ) であった可能性とニホンザルであった可能性の両方が考えられます。
まずはクマ。
19世紀の目撃事件のため九州にもクマがまだ棲息しており、疥癬 (かいせん - 毛が抜け落ちる皮膚病) に罹り痩せ細りヒト的なシルエットになったもの、二足立ち、四足歩行、大きさすべての条件を満たします。
白い毛が混じっているという表現は疥癬で毛が抜け落ち、青灰色の地肌が見えていた、と解釈することも可能です。
そしてニホンザル。
ニホンザルの可能性もあり、アルビノであったか、もしくはより灰色がかった毛色の個体であり、二足立ち、四足歩行はもちろんクリア、人間の10歳児ぐらいの身長というのニホンザルにしては大き過ぎ、やや引っかかる点ではあります。
既知生物であれば上記2つを推しますが、未発見の「猩猩に似た生物」が未だ九州に生き残っていたらUMAファンとしては一番嬉しいところです。
(参考文献)
日本の未知生物案内 (山口敏太郎著)
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