■私は既に死んでいた ~ 墓に眠るもう一人の私
今回はグリッチ・イン・ザ・マトリックス。
グリッチ・イン・ザ・マトリックスとは、この「現実」と思って暮らしている世界は、実は「現実」ではなく「仮想世界」であり、我々はただのパソコンの中の住人に過ぎないのではないか?という陰謀論系の話です。
出会ったこともない、もう一人の自分がいたら――
― 墓地で見つけた名前 ―
父を亡くした私は、時々墓地 (イスラム墓地) へ足を運んでいました。
その日も、いつもと同じように叔父の墓へ向かいました。
墓石の前に立ったとき、同行していた親族がふと一つ前の墓を指しました。
その墓石には、見慣れた文字が刻まれていたからです。
そこにあったのは、私と全く同じ名前、同姓同名――
私の名前はあまり一般的なものではなく、しかもスペルも独特なのです。
しかし、その墓石には私と全く同じスペルで、姓と名が刻まれていたのです。
単なる偶然にしてはあまりに気味が悪いことでした。
― 一致していたのは名前だけではない ―
イスラム墓地では、故人の名前だけでなく、父親の名前や出身地も刻まれます。
その墓石にも、父親の名が刻まれていたのですが、それは、まさしく私の父と同姓同名、同じスペルでした。
そして、父の出身地として記されていた村の名前までもが一致していたのです。
カシミールにある小さな村の名――
父もそこから来ました。
墓石の父も、同じ村から来たと刻まれていました。
名前、スペル、父の名、父の出身地――
それら全てが一致していたのです。
― 別人のはずなのに ―
唯一の違いは、「もう一人の私」の誕生日が「私」と数ヶ月ズレていることでした。
しかし、この違いが、状況をより不気味なものへと変えていきました。
私とは別人であるという事実をわずかに示しつつ、その「別人」があまりにも私に似すぎているのです。
後日、父の生まれた村を訪れ、さらに情報を集めようとしました。
しかし問題がありました。
私の父が暮らしていた小さな村は、巨大ダムの建設によって、すでにダムの底に沈んでいたのです。
当時を知る人々は散り散りになり、父を知る人々を見つけることが困難になっていたのです。
― 水没した村からの証言 ―
それでも、私は辛うじて一人の元住民を見つけることができました。
彼は若かったものの、墓石に刻まれていた「父の名」を知っていました。
さらに話を聞いたとき、私は言葉を失いました。
その「父」の父――つまり祖父の名前までもが、私の祖父と同じだったのです。
三世代――本人、父、祖父――が、寸分の違いもなく私たちの名前と一致していました。
そんな奇妙なことは起こり得るものなのでしょうか。
村の中でも極めて珍しい「偶然の」一致であり、本来なら誰もが記憶するはずの家系です。
しかし、その家族を知る人は、ほとんどいませんでした。
― この現象をどう解釈すべきか ―
合理的な説明はいくつか考えられます。
墓石の誤刻。
記録の取り違え。
家系の偶然の一致。
村で似た名前が続いた家族。
しかし、三代の名前と綴り、出身地が完全一致し、さらに叔父の墓の真前に配置されているという状況は、偶然という言葉では説明できません。
そこには何か見えない力――「意図」すら感じました。
最も矛盾が少ない解釈は――
私は、別のタイムラインで生き、そして死んだ「もう一人の私」の墓を見てしまったのかもしれないというものです。
日常と別のタイムラインが、ほんの一瞬だけ触れ合ったのかもしれません。
墓地はその痕跡を、そのまま保存していたのでしょう。
― あなたはどう思いますか ―
世界のどこかに、別のあなたが存在する可能性があります。
そして、その人生がすでに終わり、静かに眠っているかもしれません。
もし、墓地であなたと同じ名前の墓石を見つけたとしたら――
それを、単なる偶然だと割り切ることができますか?
あなたの「もう一つの人生」が、どこかに刻まれているとしたら。
(参照サイト)
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