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2026年9月29日火曜日

砲弾を受けても船を離れなかった猫 ~ サイモン

(実際のサイモンの写真)

■砲弾を受けても船を離れなかった猫 ~ サイモン

今回はサイモン(Simon)。

第二次世界大戦後のイギリス海軍に実在した、1匹の船乗り猫です。

1948年、香港の波止場をうろついていた痩せた野良猫は、あるイギリス海軍の水兵に拾われ数奇な運命をたどることになります。

― 軍艦に拾われた痩せ猫 ―


サイモンがイギリス海軍の軍艦に乗り込んだのは、1948年3月のことです。

当時、香港に停泊していたHMSアメジスト(HMS Amethyst)の乗組員だった17歳の水兵、ジョージ・ヒッキンボトム(George Hickinbottom)が波止場で1匹の猫を見つけました。

猫はまだ若く、およそ1歳ほどだったと考えられています。

しかし、ひどく痩せており、健康状態も良くありませんでした。

ヒッキンボトムはこの猫を艦内へ連れ込みます。

こうして、どこから来たのかも分からない1匹の野良猫が、イギリス海軍の軍艦に乗り込むことになりました。

やがてサイモンは乗組員たちに可愛がられるようになります。

しかし、彼が船員たちから重宝された理由は、単に愛嬌があったからではありません。

サイモンは、非常に優秀なネズミ捕りだったのです。

船の下層甲板にはネズミが出没します。

食料を荒らし、物資を損傷させるネズミは、軍艦にとって決して無視できない存在でした。

サイモンはそのネズミを積極的に追いかけ、次々と捕らえていきました。

時には仕留めたネズミを船員のベッドへ「プレゼント」として持ってくることもあったといいます。

さらに艦長の帽子の中で眠るなど、かなり図太い性格でもあったようです。

いつしか乗組員たちは、彼を幸運をもたらすマスコットとして見るようになっていました。

― 揚子江で始まった砲撃 ―


1948年後半、HMSアメジストの艦長が交代すると、前任の艦長はサイモンを新しい艦長、バーナード・スキナー少佐に引き継ぎました。

スキナーもサイモンを気に入り、彼はそのまま軍艦で暮らし続けます。

しかし、スキナー艦長にとって最初の大きな任務が、サイモンの運命を大きく変えることになります。

1949年4月20日。

HMSアメジストは、揚子江を遡って南京へ向かっていました。

当時の中国では国共内戦が続いており、揚子江周辺も緊張状態にありました。

そしてその日、アメジストは中国人民解放軍の砲兵部隊から突然砲撃を受けます。

いわゆる揚子江事件(Yangtze Incident)です。

砲弾は艦内を直撃しました。

その一発は艦長室を貫き、スキナー艦長も重傷を負います。

ほどなくして、彼はその傷によって命を落としました。

そして、そこにいたサイモンも巻き込まれました。

砲弾の破片を受け、身体に重傷を負ったのです。

さらに火傷も負っていました。

負傷したサイモンは、なんとか甲板まで這って移動しました。

生き残った医療スタッフによって治療が行われ、身体に食い込んでいた破片4個が取り除かれました。

しかし、状態はあまりにも悪く、その夜を越えられないだろうと思われていました。

ところが――
サイモンは生き残りました。

― 傷だらけの身体で、再びネズミを追う ―


奇跡的に一命を取り留めたサイモンは、その後少しずつ回復していきます。

そして驚くべきことに、再び船内を歩き回るようになりました。

しかし、アメジストが置かれていた状況は決して穏やかなものではありませんでした。

艦は揚子江から脱出できず、長期間にわたって足止めされます。

その間に船内ではネズミが増殖し、大きな問題になっていました。

そこで再び動き始めたのがサイモンです。

まだ砲撃による傷が完全に癒えたわけではありません。

それでも彼はネズミを追い続けました。

そして、艦内の乗組員たちにとって、サイモンは単なる害獣駆除要員ではなくなっていきます。

砲撃によって仲間を失い、いつ脱出できるのかも分からない。

そんな状況の中で、傷を負った小さな猫が何事もなかったかのように船内を歩き回り、ネズミを追いかけている。

その姿は、極限状態に置かれた乗組員たちにとって、少なからぬ慰めとなり、苦しい状況に立ち向かう勇気を与えていたといいます。

やがてサイモンは、特に手強かった1匹のネズミを仕留めました。

このネズミには、当時の中国共産党指導者にちなんで「毛沢東」という名前まで付けられていました。

その功績もあって、サイモンには人間の水兵と同じように上等水兵(Able Seaman)の階級が与えられています。

猫に階級を与える。

普通なら冗談のような話です。

しかし、揚子江で孤立した軍艦の中では、サイモンは確かに乗組員の一員として扱われていたのです。

― 「動物のヴィクトリア十字章」 ―


1949年7月30日。

長期間にわたって揚子江に閉じ込められていたHMSアメジストは、ついに脱出に成功します。

そしてイギリスへ戻ったサイモンは、一躍世界的な有名猫となりました。

新聞は彼の物語を大きく報じました。

彼のもとには大量の手紙が届き、あまりの量に、サイモンの郵便物を処理するための担当士官まで置かれたといいます。

寄港する先々で歓迎を受け、イギリスへ帰国した際にはプリマスでも特別な歓迎を受けました。

そして1949年8月、サイモンにはPDSA(People's Dispensary for Sick Animals)からディッキン・メダル(Dickin Medal)が授与されました。

これは戦時下などにおいて勇敢な行動をした動物に贈られる勲章で、「動物のヴィクトリア十字章」とも呼ばれています。

サイモンは、現在でも猫の受章者として特に知られている存在です。

さらにブルークロスのメダルや、アメジスト号の作戦参加を記念するメダルも授与されました。

わずか1年前まで香港の波止場をうろついていた痩せた野良猫が、今度は勲章を胸にした「海軍の英雄」になったのです。

しかし、サイモンの物語には、ここから悲しい結末が待っていました。

― 帰国した英雄を待っていたもの ―


1949年11月。

HMSアメジストがイギリスへ帰国すると、サイモンも船員たちとともに帰国しました。

しかし、海外からイギリスへ入る動物には、当時も検疫が必要でした。

サイモンはサリー州の動物施設へ移されます。

そこで、ウイルス感染症を発症しました。

戦場を生き延び、砲弾による負傷からも回復したサイモンでしたが、今度ばかりは病に勝つことができませんでした。

1949年11月28日。

サイモンは死亡しました。

まだ2歳ほどだったとされています。

その葬儀には、HMSアメジストの乗組員がほぼ全員参列しました。

イギリス海軍の一員として戦火をくぐり抜けた1匹の猫を、最後まで仲間として見送ったのです。

サイモンはロンドン東部イルフォードにあるPDSA動物墓地に埋葬されています。

墓碑には、簡潔にこう刻まれています。

IN MEMORY OF "SIMON"
SERVED IN H.M.S. AMETHYST
MAY 1948 – NOVEMBER 1949
AWARDED DICKIN MEDAL
AUGUST 1949
DIED 28TH NOVEMBER 1949.
THROUGHOUT THE YANGTSE INCIDENT
HIS BEHAVIOUR WAS OF THE HIGHEST ORDER

「サイモンを記念して。

H.M.S.アメジストに勤務。

1948年5月~1949年11月。

1949年8月、ディッキン・メダル受章。

1949年11月28日死去。

揚子江事件を通じて、その行動は最高のものであった。」

わずか1年半ほどの海軍生活でした。

それでも、その間に彼は軍艦のネズミを捕らえ、砲撃を生き延び、負傷した身体で再び仕事に戻り、そして乗組員たちとともに揚子江を脱出しました。

サイモンが英雄になった理由は、銃を撃ったからでも、敵と戦ったからでもありません。

ただ、自分ができることを、最後まで続けた。

それだけです。

香港の波止場で拾われた1匹の痩せた野良猫。

その猫が乗り込んだ軍艦は、戦争のただ中で砲弾にさらされました。

そしてサイモンは、その軍艦とともに生き残りました。

しかし、ようやく故郷へ戻ったとき、彼を待っていたのは栄光の余生ではありませんでした。

彼の墓に残された「Throughout the Yangtze Incident, his behaviour was of the highest order.(「揚子江事件の全期間を通じ、彼の行動はまさに模範的なものであった。」)」という一文だけが、今もその短い生涯を伝えています。

船乗り猫サイモン。

彼は最後まで、HMSアメジストの乗組員でした。

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