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2019年10月2日水曜日

恐竜が滅びずに人類のように進化したとしたら? ~ 恐竜人、ディノサウロイド(ダイノサウロイド)


■恐竜人 ~ ディノサウロイド(ダイノサウロイド)

「恐竜博2019」に行ってきました。

今回の目玉はデイノケイルス (Deinocheirus) ですが、恐竜ファンだけでなく、UMAファンにも人気の高いダイノサウロイドの展示もありました。

― もし恐竜が絶滅しなかったら ―


「もし恐竜が絶滅せず、現在まで人類のような進化を遂げていたら、どのような生物になっていたのだろうか?」

カナダの地質学者・古生物学者であるデール・ラッセル博士 (Dale A. Russell) は、この問いについて真剣に考えました。

そして獣脚類トロオドン (Troodon) をモデルとして、科学的なシミュレーションを試みたのです。(※厳密には博士が提唱したのはステノニコサウルスStenonychosaurus)がベースでしたが、ステノニコサウルスはトロオドンのシノニムとして扱われたため、後に「トロオドンがモデル」として知られるようになりました。しかし現在、ステノニコサウルスが独立した属として有効となったため、「ステノニコサウルスがモデル」が正しいです)

ラッセル博士が数ある恐竜の中からトロオドンを選んだ理由は、その高い脳化指数 (EQ) にありました。

脳化指数とは、体の大きさに対する脳の大きさを示す指標です。

つまりトロオドンは「相対的に脳が大きく、知能も高かった可能性がある」と考えられていました。

相対的に大きな脳を持つトロオドンは、賢く複雑な生活を営んでいたと推測されており、少なくとも当時のラッセル博士は、恐竜人をシミュレートする素材として最適だと考えたのです。

一方で、アンキロサウルス (Ankylosaurus) のような曲竜類 (鎧竜類) は、比較的脳が小さく、行動も単純だったと考えられていました。

そのため、恐竜人の進化モデルには適さないと判断されました。

(「2019恐竜博」にて)

― ディノサウロイドの誕生 ―

そして1982年。

当時カナダ国立自然科学博物館 (現・カナダ自然史博物館) に所属していたアーティスト(剥製師)、ロン・セガン (Ron Séguin) 氏との共同制作によって完成したのが、この恐竜人ことディノサウロイド (Dinosauroid) です。

頭部の形状や指の数など細部に違いはあるものの、全体としては人間によく似た体つきをした二足歩行のヒューマノイドでした。

ラッセル博士は、この等身大模型を携えて学会へ乗り込みます。

容易に想像できる通り、ディノサウロイドが初めて披露された際、会場からは失笑が漏れ、その後の古生物学者たちの評価も決して好意的なものではありませんでした。

しかし一方で、一般の人々からの反応は概ね良好だったようです。

ラッセル博士自身も、そのように回想しています。

発表から30年以上が経過した2019年10月。

恐竜博で展示されたディノサウロイドを、日本の来場者たちは興味深そうに見つめていました。

そして、その多くが好意的に受け止めていたことも印象的でした。

― 世界に一つだけのオリジナル模型 ―


ちなみに、このディノサウロイドの模型は、デール・ラッセル博士の指示のもとで1982年に制作された「実物」です。

論文発表や記者会見などで実際に使用され、当時、世界へ初めて公開された「世界に一つしか存在しないオリジナル模型」でもあります。

現在では恐竜進化の思考実験として有名な存在ですが、その実物を目の前で見られる機会は極めて貴重といえるでしょう。

(「恐竜博2019」にて。人混みがあまりにも多く、人が写り込んでいない写真はほとんどありませんでした。これでも比較的見やすい1枚です。ちなみに「撮影禁止」のマークがありますが、これはディノサウロイドの上部で上映されていたCG映像を指しています)

― ラッセル博士という人物 ―


ラッセル博士は、物理学者ウォレス・タッカー (Wallace Tucker) 博士と共同で、1971年に科学雑誌「Nature」へ論文を発表しています。

その内容は「地球近傍で発生した超新星爆発による放射線や気候変動が恐竜絶滅を引き起こしたのではないか」というものでした。

いわゆる「超新星爆発説」です。

結果的にこの説は主流にはなりませんでしたが、「宇宙規模の大災害によって恐竜が絶滅した」という視点を、いち早く古生物学界へ持ち込んだ先駆的な研究でした。

ラッセル博士は、単に奇抜なアイデアで注目を集める人物ではなく、真面目な研究者として評価されていた古生物学者だったのです。

※デール・ラッセル博士は、「恐竜博2019」が開催された同年の暮れ、誕生日を6日後に控えた2019年12月21日、81歳で亡くなられました。

UMA探しの旅は終わらない (国内外1000体以上のUMAが待っています)


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